昨日感想を書いた畠山丑雄の『叫び』が芥川賞の候補作になった。日本の出版界に興味がないので、この時期に候補発表があるのを知らなかった。受賞は一月に決まるらしい。候補になる前に候補作を読んだのは多分池澤夏樹の『スティル・ライフ』以来だ。約40年前……。と思って受賞作一覧を見ていたら、辺見庸の『自動起床装置』があったのでそれが最後か。いずれにしても大昔の話だ。
庄野潤三『夕べの雲』(講談社文芸文庫)を読む。1965年の作品。何とも牧歌的なファミリー小説。『万年元年のフットボール』の同時代作とは思えない。こんな時代が日本にもあったのか。まあ、その時代でもこんな生活を送れたのは一握りの人だろうけど。随筆または私小説なんだろう。というか、そうでなければ意味のない作品だと思う。敢えて創作する意味がない。心地良いけど、フィクションなら何も生まないもの。作中で時が進むと、自宅の周辺も大きく変わっていく。高度経済成長期の日本の様子がわかる。失われつつある世界を淡々と書く作者の強靭な精神は、『細雪』と向き合っていた時の谷崎の態度を想起させる。哀切の情も郷愁もなく。