今日は読了本がないので、先月読んだマーガレット・アトウッドの『ペネロピアド』について。アトウッドはドラマにもなった『侍女の物語』の著者として有名だ。この小説と続編の『誓願』それにブッカー賞を獲った『昏き目の暗殺者』を読み、どれもとても気に入った。他の小説も読みたかったが、電子化されていなかったり、単行本で値段が高かったりで二の足を踏んでいた。気にいるに決まっている、ということもある。思想的にも賛同できる人だし、気に入るに決まっている人の本を読んで溜飲を下げるようなことはしたくない。値段が高くて敬遠してしまうのをそんな風にごまかしているだけかもしれないけど。
『ペネロピアド』はギリシア古典『オデュッセイア』の読み替えということで読む気になった。去年読んだアーシュラ・K・ル=グウィンの『ラウィーニア』(これは『アエネーイス』の読み替え)がとても良かったし、一時期やたらとギリシア古典を読んだのでその経験を無駄にしたくないという気持ちもある。
あの古典熱は何だったのか。塩野七生の『ギリシアの物語』や『ローマ人の物語』を読んだ余韻かーーこれは違うか。古典熱の方が先だ。塩野七生の本はコロナ期に読んだ。なぜ読む気になったのかは忘れたが、ホメーロスの『イーリアス』と『オデュッセイア』、『アエネーイス』、ギリシア悲劇は確か全部、喜劇は選集を読んだ。それなりに楽しかったが、とにかく長いので苦行に思えることもあった。
『オデュッセイア』を読んだおかげで読み替えの『ペネロピアド』を楽しく読めたのは確かだが、あらすじを読んだだけでも同じ楽しみを得られたかもしれないとは思う。あらすじを読んでいなくても楽しめるだろう。いきいきとした物語であり、文章も跳ねている。原典の方では帰らない夫オデュッセウスを待つ賢夫人というイメージしかないペネロペイアがこの小説では自分の言葉で語り自分の意思で行動する。鴻巣友希子の訳も素晴らしく、ペネロペイアを好きにならずにはいられないが、彼女の侍女たちが語るコーラスラインという章があるので、ペネロペイアの一人称の語りが真実なのかどうかわからなくなる。『オデュッセイア』がオデュッセウスの側から見た物語に過ぎないように、ペネロペイアの物語もまた上流階級に属する裕福な女性の立場で語られているに過ぎないのだ。そんなところも含めて、いい小説だった。