『楡家の人びと』の一節。楡家の次男周二は軍事教練の後で考える。
自分は死をこわいとは露ほども思わない。たとえこれからも長く自分が生きていったにせよ、他の者がたやすく受け入れられるのびやかな歓びよりは、じめじめとしたせせこましい自意識、自分で自分が厭になる煮えきらぬ苦悩のほうがどれだけ多いことだろう。ただ一瞬をかけた突撃、九十パーセントの死の中にあってのみ、自分は他の人並の連中に伍してゆけるのだ……。(北杜夫『楡家の人びと』新潮文庫)
戦争での死を積極的に受け入れる思考だ。氷河期に「希望は戦争」と書いていた人を思い出す。戦争により既存の秩序が壊れて自分も這い上がれるかもしれないという考えかと思っていたが、もっと普遍的に生きづらさを戦争で解消したいと願う気持ちがあるらしい。周二は複雑な家庭環境ながらそれなりに裕福な家庭の息子だし、麻布中学に通っているのだから客観的に見ればそこまで落ちこぼれているわけでもない。自意識の問題なのだろう。ちっぽけな自分を大いなるものの一部にしたいという思想。わからなくはないが逃げているだけだし、何の解決にもならない。大いなるものに取り込まれて利用されるだけだ。幸い、周二はすぐに目が覚める。