十一月三十日(日)

mayo_fujita
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公開:2025/11/30

 月の最終日なのでXに今月の読了本をポストした。 

 商業本は六冊読んだ。

 円地文子『なまみこ物語 源氏物語私見』(講談社文芸文庫)

 芝木好子『湯葉 青磁砧』(講談社文芸文庫)

 河野多恵子『不意の声』(講談社文芸文庫)

 マーガレット・アトウッド『ペネロピアド』(鴻巣友希子訳・角川文庫)

 堀田善衛『広場の孤独』(新潮文庫)

 安部公房『砂の女』(新潮文庫)

 文フリ購入本は五冊。

 MINMOO『都営バス旅橋63編』

 MINMOO『マダムYの誘惑』(豆本)

 眞琴こと『走馬灯のサムネイル』

 『往復書簡集 飯島雄太郎と畠山丑雄の文学ちどりあし』(無配)

 畠山丑雄『牧場』

 読みたいジャンルの一つに「青空文庫に入っていない(著作権が切れていない)昭和期に書かれた日本の小説」がある。講談社文芸文庫の三冊はそれだ。円地文子は一九八六年、芝木好子は一九九一年、河野多恵子は二〇一五年まで存命だったが、今回読んだ小説は六〇〜七〇年代に書かれている。講談社文芸文庫電子版がセールだったので購入してみた。

 この「Amazonのセールを待って本を買う」というセコい習慣は自分でも多少気が差すが、セールがなければ巡り会えなかった本も多い(などとすぐ合理化するのが私の良くない癖だ)。今回の三冊にしても、それなりに楽しく読めたが今読んでも新鮮な驚きがあるという作品ではない。定価で購入していたら割高な本だと思ったことだろう(文壇の元大御所たちに何と失礼なことを言っているのやら)。

 一番面白かったのは円地文子の随筆「源氏物語私見」だ。源氏の翻訳をなさっただけあって、示唆に富む独自の見解が非常に興味深い。中でも六条御息所についての文章を読んで彼女の印象が変わった。六条御息所は若くして夫(前東宮)を失うが、亡き夫が遺した財産や地所をうまく管理して、裕福に暮らしている。源氏へのもてなしやプレゼントも他の女性のそれとは一線を画す、贅を尽くしたものであったと作者は書く。六条御息所が趣味の良い女性であることは当然頭にあったが、財力のことなど考えたこともなかった。だが、言われてみれば当然のことだ。宮の姫君である末摘花がいい例だが、当時は男性の保護者がいない女性が生きにくい時代だ。美しく趣味が良いだけでなく、実務能力もある聡明な女性。パーフェクトな女性とも言えるだろう。それなのに、恋人である源氏は他の女性に目移りして……。物怪となって葵の上に取り憑いてしまう気持ちがより理解できるようになった。

 ただし、御息所の恨みや嫉妬心は一時はおさまる。彼女の娘である秋好中宮の保護者になった源氏がその役目をきちんとこなしたからだ。母としての感謝の気持ちが女としてのマイナスの感情を上回ったのだろう。ところが長い時を経て、御息所は晩年の紫の上や源氏の若い妻である女三宮に死霊となって取り憑く。ーーなんて怖い人なんだろうと長年思ってきた。薄情な恋人である源氏への恨みが正妻である葵の上に向かうのは理解できるが、死んだ後までーー何十年も経ってからーー娘も源氏たちの世話になっているのに……などと考えて、御息所が好きだという夫に「あそこまで執着心の強い女が好きってどういうこと?」と絡んだりもした。

 だが、円地文子の見解では御息所は単なる粘着質女ではないということになる。源氏は彼女の娘である秋好中宮の保護者なので、御息所が遺した財産や土地の管理を任された。秋好中宮は夫である冷泉帝と共に暮らすので、母が遺した土地には住まない。その土地は六条院となり源氏が紫の上をはじめとする女たちと暮らす邸宅となった。 

 自分が遺した土地に自分の子孫ではなく、薄情だった男の妻たちが暮らす。自分は死んで肉体も持たないのに、彼女たちは源氏と共に現世を楽しんでいる。ーーどんなに寂しかっただろう。死霊になって女たちに取り憑くのもやむを得ない、と初めて六条御息所に共感できた。

 六条院で我が世を謳歌する前に、せめてその片隅にでも薄幸だった恋人を偲ぶ祠を建てていたら、源氏は最愛の人紫の上をあんな風に失わずに済んだかもしれない。

 精一杯のことをして禊は済んだと思っていても、怨嗟の心は末長く残るのだ。そのことを心に刻んだ読書体験だった。

@mayo_fujita
読書日記を書いています。小説メインで色々読みます。古い小説と海外文学、ZINEや同人誌など。