めずらしく、夫とふたりでカフェに入った。
当然ながら、子どもができてからは生活のすべてが赤子のものになってしまったため、ふたりだけでゆっくりとお茶をするのはすごく久しぶりのことだった。娘の慣らし保育と夫の半休が重なった、奇跡みたいなタイミングのできごとだった。
店のしつらえは感じがよく、奥は一面ガラス張りになっていた。初夏の日差しがらんらんと入り込んでいて、競馬新聞を片手にまどろむお爺さんをやわらかく照らしていた。夫はまるでアメリカのマスコットキャラクターが食べるような大きめのクッキーを手に取ったあと、パスタと飲み物のセットと一緒に恥ずかしそうに注文していた。
𓈒𓏸
私たちは出会ってから今日までずっと、くだらない話ばかりしている。くだらなさのチャンネルみたいなものが似ているのだ。化学反応の如くくだらなさが生まれ続けて、いつの間にかここまでやってこれた。
もちろん、大人数で誰かとしゃべるのもすごく楽しい。けれど、旦那と2人きりになると、我々だけの「くだらない例のアレ」が顔を出す。夫婦というのは多かれ少なかれみんな各々「例のアレ」を持っていて、2人きりになった途端にヒソヒソ楽しんでいるものなのだ。
だから、ほかの夫婦が楽しそうに話しているのを見ると、ちょっとだけそわそわとした気分になる。早くわたしも喋りたい。くだらないことも、嬉しいことも、何もかも、ずっといっしょに、いつまでも、死んじゃった後も、夫とふたりで延々と喋っていたいのだ。