男性というのは優しい生き物だと思う。
わたしはどちらかというと不美人なほうだが、それでも思い返すかぎり男性はかなり自分に優しく接してくれた。若い頃ほど顕著だったが、30代になった今でもそれは変わらない。道を譲ってくれたり、少しの損を肩代わりしてくれたり、小さなことに気づいてくれたり……男の人というのはなぜか絶対的に優しいことが多い。もちろん、嫌な思いをしたこともあったはずなのだが、思い出せないくらい軽微なものばかりだった気がする。(繰り返すがわたしは不美人な34歳なので、たぶん年齢や美醜の話ではないのだと思う。)
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かといって、女性が厳しいかと言われるとそうでもない。若い女の子たちはみな可愛いし、年上のお姉様がたもだいたい可愛い。当然同年代の友人も可愛く、女の人には優しくしてもらったことばかりが思い出される。(たぶん、色々思うところがあっても、多くを見逃してもらっているのだという気がする。)
つまり、自分は幸運なのだ。偶然自分にとって嫌な性質を持つ人と接する機会が少なかった。(あるいは、いい意味で鈍感に生きてこられたのだ。)
それを有難いと感じると共に、その幸運を他者へ還元したほうがいいのだろうか、思うことがよくある。気にしすぎかもしれない。けれど、神仏に対する信仰と同じで、これだけ周囲の人に良くしてもらっているのだから自分も何かしなくては不道徳のような気がしてしまうのだ。
恥ずかしい話、その手応えが未だによく分かっていない。自分の言動を喜んでほしいけれど、それは相手に届いた瞬間わたしの領域にあるものではなくなってしまう。わたしばかりが良い思いをして、この人は損だと思っていないだろうか? 自分は与える側の人間になれていないんじゃないだろうか? それはわたしが人として未熟だからなんだろうか?ぐるぐるぐる……。
そうやって落ち込んでいると、また誰かが優しくしてくれて、"借り"ばかりが増えていく。長い長い人生で、借りを返す人間になっていけるのだろうか。禅問答みたいだ。