師走が終わる。今年が終わってしまう。
2023年は娘を出産した年だった。それはこれまでの人生で1番実りある、輝かしくて悦ばしい出来事だった。
出産後、「お産って大変だった?」とよく聞かれた。もちろん辛くてしんどいことも沢山あったけれど、そのいっぽうで人生観を激変させるほど大変ではなかったように思う。初めて娘を抱いた瞬間も、喜びと言うよりは無事に産まれたことに対する安堵の気持ちのほうが強かった。
質問で言うと、「母性わいた?」ともよく聞かれた。果たして自分に母性は湧いたのだろうか?――よく分からない。おそらくはわたしもホルモンの作用で何かしら母性というものを会得しているはずなのだが、いまいちピンと来ていなかった。
しかし、育児の頑張りという観点であれば、手探りながらにこの6ヶ月間よく頑張ったんじゃないかと思う。乳幼児というのは想像を絶するほどの生き物で、わたしのあらゆるリソースを怪獣みたいに奪っていった。身体はぼろ雑巾のようにくたくたで、脳みそが常に半分くらいしか機能していない感じがした。それでも何とかやってこれたのは、すべて旦那の協力のおかげと、そしてSNSのみなさんがくださった情報の賜物だろう。
そんな娘も、おととい生後7ヶ月を迎えた。新生児のころはあんなに頼りなくふにゃふにゃだった身体も、今や8kgのわがままボディに進化している。喜怒哀楽もそうとう豊かになって、眠って起きてはミルクを飲み、確かな成長を見せている。
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夜、旦那と娘がお風呂へ入ると、リビングはエアコンのごうごうという音が聞こえるくらい静かになる。遠くからは2人がきゃあきゃあと笑い合う声が聞こえてきて、そのたびに胸にやさしい気持ちが滲む。
そういう時、わたしはまだ道のりのさなかにあるのだと思わされる。妊娠も出産も道のりの一部に過ぎず、人生のゴールは既に決まっていて、あとはもう慈しむように生きるだけなのだ、と。
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風呂からあがった娘は割とすぐに寝てしまうことが多い。ふくふくのお口がちいさく呼吸し、身じろいでいる。
いつしか彼女はその足で立ち上がり、わたしのもとを巣立ってゆくのだろう。とつ国へ旅立つことも、知らない料理を食べることも、初めての音楽に目を細め、溢れるような生命のなかで生きることも。なにもかも娘には許されていて、そのすべてを愛おしいと思うのだ。
自分に母性があるのかは分からない。ただ、リビングのとばりが落ちるとき、娘が世界で最も幸福な夢を見ていますようにと祈るのだ。これから先の人生もずっと、ずっと。