もうすぐ、娘は1歳の誕生日を迎える。
低月齢の頃に比べ、近ごろ娘はかなり人間めいてきたと思う。いつもぼんやりと周囲を見渡すだけだった身体も、今や縦横無尽に家じゅうを動き回るようになった。
最近は、何にでも「ま、ま」と言いながら指をさすのがマイブームで、ご飯もパパも電車もみんな「まま」だ。
最も成長したのは情緒面で、かなり自我というものが形成されつつある。これは好き、今これをしたい。そうでないのであれば気に食わない。(例:鼻の下を触られるのは不愉快だが、鼻水が口に入って気持ち悪いので何とかしてほしい。)(例2:抱っこしてほしいが、抱っこのまま退屈するのは嫌なので望む方向に動いてほしい。)
こうして娘のむちゃくちゃに付き合っていると、娘のことがより愛おしく感じられる。もちろん新生児期も特別可愛かったが、意思を持つようになった娘は本当に人間らしく、その一挙一動が愛おしい。
保育園に預けるとき悲しそうに眉根をよせるのも、キッチンで洗い物をしていたら「ま、ま」と言いながらスカートの裾をつかんでくるのも、目が合うと幸せそうに両手を振るのも、気に入らない離乳食を手で押しやるのも、ベビーカーの帆先からむちむちのあんよが覗いているのも、何もかも。娘のすべてが愛おしく、すべてをなげうつような気持ちになる。
昔はただ、妊娠出産という強大で圧倒的なイベントが怒涛の如くやってきて、赤ちゃんという生き物がとつぜん我が家に沸いて出てきたような感覚だった。
だけど今は、わたしは愛しい娘を育てていて、彼女と一緒に生きていけることが心から嬉しいという実感がある。この子が命より大切だし、わたしのいちばんの宝物だ。たとえ娘には伝わらなくても、わたしの元に生まれてきてくれてありがとう、と毎日語りかけている。
𓈒𓏸
子育てに正解やゴールがあるのかは分からない。ただひとつ確かなのは、娘は毎年誕生日を迎え、そしていつかわたしの手元を離れて行ってしまうということだ。
そのとき、「まま」と呼んでくれていたこの日々を、抱きしめていた手のひらを、やわらかい頭皮のにおいを、娘が生まれてきたことでわたしがどんなに沢山の宝物をもらったのかを、改めて伝えるのもいいかもなあと思うのだ。