(04.23のつづき)
口にするのも恥ずかしいけれど、昔はコピーライターというものになりたかった。短い言葉で、端的に、それでいて金銭的価値をもたらす。まさに憧れの職業だった。
コピーライターにはなれなくても、あるいは作詞家、詩人、歌人……そういった「言葉を巧みに操るひとびと」に学生時代はなりたかった。
わたしは容姿も知能も平々凡々で、かといって中身が特別素晴らしいわけでもないけれど、それでも自分の文章のことだけは昔からずっと好きだった。わたしはわたしの感じる物語を素晴らしいと思っていたし、同様に他人の物語も素晴らしいと思っている。自分の感受性を愛していると言い替えてもいい。
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世界というのは常に静かで、瞬きするごとにチカチカとあふれかえり、よく分からないけど何となくポジティブな場所である。たとえ悲しいことや嫌なことがあっても、世界はそういった煌めきで満ちているし、人は生まれながらにして希望へ向かうようにできている。それはわたしの矜恃であり、核のようなものでもあった。それを言葉にすることで生きていたかったのだ。
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今じゃ滅多にそんなことは言わなくなった。大いなる才能を前にしてわたしは無力すぎたし、高度資本主義社会を耐え抜くようなガッツもなかったから。
それでも、自分の感受性を特別扱いするのはやめられず、そのせいで今は薄ぼんやりと訳のわからない文章を練るだけの人間になっている。
自分の文章のことは心から好きだと思う。死ぬほど憧れた松任谷由実さんを前にしても、多分同じことが言える気がする。あなたの一億分の1ほどの才能もないけれど、わたしはわたしの感受性のことを愛している。この世にたったひとつだけの存在であるわたしを、精一杯に感じて生きているのだと。