″占い鑑定″というものを受けた。
いわゆる占い師にお金を払って運勢などを見てもらうものである。本来であれば60分で1万円ほどかかるらしいのだが、先着3名の無料モニターを募集するという記事を読んで、喜び勇んでその枠に応募した。
占いをしてくださった先生はA子さんといって、もともとは探偵事務所でアシスタントをされていた方だった。わたしは探偵時代から彼女のブログのファンで、こんなクライアントは嫌だとか、こういう尾行をしただとか、そんな記事を読むのが好きだった。そうして読者をしている数年のあいだにA子さんは占いのスキルを習得し、探偵事務所を退職して、占い師として独立してしまった。
𓈒𓏸
A子さんは夫婦関係・パートナーシップについてのモニターを募集していたため、鑑定は必然的に主人とのことを相談するかたちになった。
わたしは主人のことが大好きだし、特にこれといった不満もない。しかし、せっかく鑑定の機会をいただいたからには何か捻り出して行かなければ失礼だと思い、『主人とのコミュニケーションのコツ』について相談させていただくことにした。
旦那と暮らしていると、「どうしてそんな風に伝わってしまったの?」と思うようなことが時々あって、それがなくなるといいなと思ったのだ。(「疲れてるだろうし今日は早めに休んだら?」と言って悲しませてしまったり、「よければ先に1人で娘の買い物だけ済ませてこようか?」と言って怒らせてしまったりした。)(前者は言い方、後者はタイミングの問題だった。)
A子さんは軽く魔法陣のようなものを眺めたあと、「そうですね、」と言った。
「ご主人は確かに、言葉のきつさや繊細さが目立ちます。でも、それよりはおふたりに"甘え"の相性が強いことが気になりますね。2人でくっついてると居心地が良すぎるあまり、互いに境界がなくなってしまいがちです。おふたりとも情にもろく、依存的な性格なので、自分の言動が相手に理解してもらえるはずだろうという無意識の思いが強すぎます。自分とパートナーは別個の人格なのだと改めて意識してください。」
なるほど、と思った。占い以前の問題というわけだ。
「加えて、ご主人は……いえ、ご主人のお父さんやお母さんは、ご健在ですか?」
A子さん曰く、それも主人の占い結果に出ているのだそうだ。確かに主人が幼いころその片方は失われてしまった。でも、それがわたしたちの夫婦関係にどんな影をおとしていると言うのだろう?
「ご主人は、mayoccoさんにとても優しくしてくれると仰っていましたね。でも、それはもしかしたら過去の投影なのかもしれません」
「過去の投影?」
「つまり、ご主人が幼少期に"両親にこうされたかった" という言動を、パートナーに対して行うことで、過去の自分を癒そうとしているということです。」
「なるほど。そう言われてみればそういう側面もあるような気もします。」
「ええ。そして、それはmayoccoさん、あなたも同じことです。mayoccoさんのご両親、特にお母様はご健在ですか?」
「わたしですか?わたしの両親は健在です。でも仰るとおり、確かにわたしも主人に対して、子供の頃お母さんにしてほしかったことを……」
そこまで口にして、驚いた。目からぼろぼろと涙がこぼれていたからだ。それは確かに自分の中にあって、まったく陽のあたらない場所に隠されている感情だった。突然スポットライトを浴びせられてびっくりしたのだろう。
わたしはとにかく、いつも旦那が悲しくないように気をつけていた。それはもうほとんど無意識の領域だったし、そもそも人間は勝手にそうするものだと思いこんでいた。
しかし、よくよく考えてみると、確かにわたしは母親に対して感情的な保護を求め、つらいときや嫌なことがあったとき、防波堤のように安らげる存在であることを望んでいた気がする。だからこそ、わたしは旦那に悲しい思いをさせないよう神経を使いすぎてしまったし、そうすることで過去の自分が報われたような気持ちにもなっていたのだろう。A子さんの言うことはまったくの無意識で、まったくの正論だった。
「これはmayoccoさんが、精神的に親から自立していないということと同義です。誰もが親からの傷を負い、それを潜在的に背負って生きています。パートナーシップではそのことが深刻化しやすいのです。おふたりは元々優しい性格で、今のままでもじゅうぶん素晴らしいパートナーシップを築いています。ただ、mayoccoさん自身の問題として、一朝一夕では難しいことですが、自分の言動の背後には両親に対する依存があるのだと意識してみてください。」
なるほど、と再び思った。
占いというのは結局ツールのようなもので、中身はカウンセリングなのだということはみんな知っている。
それでも、太古の昔もこうだったのかと思うと胸が震えた。占いで未来なんて分からないし、魔法の言葉も存在しない。けれど、苦しいことも、大好きな人も、おそろしい未来も、生まれてくる命も、何もかも。人は人によって輝きがもたらされ、いつだって新しくなれるのだと肯定されたような気分になったのだ。
もし古代にも同じように人が迷い、うつむき、そのたびに手を取りあったその輝きが、星になぞらえられたのだとしたら。
占星術というものは永遠に失われることがないのだろうなと思った。