名神高速を東へ120分、車は程なくして米原ジャンクションへと差し掛かる。
大学時代はいつもこの場所から北陸道へ乗り換えていた。当時はETCを使えば高速料金が上限2000円になる時代で、事あるごとにボロボロのアルトで真夜中から出かけていたことを思い出す。
𓈒𓏸
今思えばくだらないが、当時は真剣に" このまま辿り着いた知らない場所で、誰にも気付かれずひっそりと暮らしたい "などと考えていた気がする。深夜の高速には人をそうさせる何かがあったのだ。
右足でゆっくりとペダルを踏む。すると100km/hの鉄塊にランプが灯り、遠くの家々に優しく揺れる。インターチェンジにはトラックが連なっていて、みな静かにじっと朝の訪れを待っている。わたしはその隙間で造作もなく押し潰されそうな軽自動車に乗りながら、同じように朝を望んでいた。
やがて朝陽が射すころになると、インターチェンジには柔らかいおうどんの匂いがたちこめる。山の向こうには朝ぼらけが微かに残っていて、瞬きするたびに世界が目覚めていくのが分かる。
そっとシートを戻して、まだ登り切っていない太陽に向かってアクセルを踏む。視界いっぱいに朝の訪れが広がり、チカチカと朝陽のかけらが眩しく写りこむ。息をすると苦しいほどの気持ちが沸きあがり、浮遊感のような高鳴りのような、耐えがたい未来への希望が全身を駆け巡る。ああ、自分はどうしたって自由で、どこへだって行ける、何にだってなれるのだ、と。
𓈒𓏸
その後、就職で関西方面へ移住することになり、車は手放さざるをえなくなった。買った当初でさえ10万km程度走っていたわたしのアルトは、売ろうとしたら手数料で損になるくらい激しく老朽化していた。紆余曲折を経て個人ディーラーをしている友人の手に渡って以来、愛車がどうなったのかは分からない。
今は子供もいるし、自由に車を乗り回せるような環境ではなくなってしまった。高速代もガソリン代も高騰して、カーシェアの年会費だって削りたいご時世だ。
でも、あの時の煌めきはいつまでもわたしの胸の中にある。人間はどんな時も自由で、何処へだって行けて、何にだってなれる。たとえ暗い気持ちになる日があろうとも、どうしたって人はきらめきの中で生きていくのだと。
𓈒𓏸
ゆっくりと車はレンタカー屋の返却口へ到着した。ポン、という懐かしい音とともにETCのカードが抜かれ、我々は思い思いに荷をおろし、車を後にする。振り返ってレンタカー屋を確認すると、連なりあう車たちの最後尾に、そっと寄り添うような形で軽自動車が佇んでいるのが見えた気がした。