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プライドとは、誇りを持てない者たちを置いていかないための言葉だ。

i s u
·
公開:2026/6/19

※悲しい話😭が含まれます。自己嫌悪や心身の不調について書いています。

ニューロダイバーシティ・プライドのイベントを主催した二日後、私はメンタルクリニックで泣いていた。

「私が生まれてきたせいで、みんなが不幸になっている」

そう言って泣きじゃくっていた。

その後、原因もよくわからないまま嘔吐して仕事を早退した。

そして今日も、朝から内科に行った。レントゲンと血液検査を受けて、「胃腸が荒れていますね」と言われた。感染症ではないらしい。原因はよく分からないけれど、おそらくストレスだろう、と。

私は、自己嫌悪したり、人との間でうまくいかなくなったりするたびに、身体の具合が悪くなって寝込む。

吐き気がしたり、ご飯が食べられなくなったり、息が苦しくなったり、高熱が出たりする。

自分を責める言葉は、頭の中だけに留まってくれない。

私の身体は、それを真に受けてしまう。

今も腹が痛いので、布団で丸くなっている。

そしてそんな自分をまた責める。

これが、ニューロダイバーシティ・プライドのイベントを主催した人間の姿。

私はニューロダイバージェントとして綺麗な物語を提示することができない。

抑圧や劣等感を克服した者として、自信満々に無限マークを描くことはできない。

私は今でも、自分で自分を傷つける。

他人には向けたくない刃を、自分自身へ向けてしまう。

言っていることとやっていることが違う、と思う人がいるかもしれない。

けれど、私はむしろ、プライドとはそういうものだと思う。

迷いのない人は、わざわざプライドなんて掲げなくても生きていける。

自分を誇ることに何の困難もない人は、わざわざプライドを語る必要がない。

むしろ、自分で自分のプライドを壊してしまう人たちだからこそ、プライドが必要なのだと思う。

私たちは、ときに他人には向けたくない刃を、自分自身へ向けてしまう。

では、その刃はどこから来たのだろう。

なぜ私たちは、自分を傷つける言葉を覚えてしまったのだろう。

プライドとは、その問いを忘れないためにある。

私は、私ひとりではニューロダイバーシティ・プライドなんて掲げられない。

だから、公に開かれたパンフレットを仲間たちに呼びかけて書いた。(https://nurodiversitypride.wpcomstaging.com)

あのパンフレットに、「私」という主語はほとんど出てこない。

そこにあるのは、運動の歴史であり、先人たちの言葉であり、世界中の当事者たちが積み重ねてきた知恵だ。

私は、自分を誇りに思えるから、あれを書いたのではない。

私は全然強くない。一人では無限のマークを支えきれない。

プライドを持てるかどうかを、個人の精神力や努力の問題にしたくない。

「もっと自信を持てばいい」

「もっと自分を好きになればいい」

そんな話をしたいんじゃない。

プライドとは、自分を責める前に、その傷がどこから来たのかを問うことだ。

プライドとは、誇りを持てない者たちを置いていかないための言葉だ。

私は今も、お腹が痛くて、布団の中で丸くなっている。

自分の言葉を疑いながら、これを書いている。

それでも、プライドという言葉を手放したくない。

プライドを持てるかどうかを、自己責任にしないために。

プライドを持てるかどうかを自己責任にしないために、プライドという概念はあるのだと思う。

@mayucha
雑文です。自分だけが、わかればいいと思って書いてます。あなたのための文章ではありませんが、暇つぶしにどうぞ。