情報格差ビジネスについて

maztak
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ふと情報商材などの情報格差で利益を稼ぐ情弱ビジネスって資本家と同じなのかもと思った。例えば封建制度時代に土地を持っている領主や魚を捕る船を持っている人などか。

人々がノウハウ情報やおすすめグルメマップ、備忘録を無償で公開するのは、それにより「誰かの役に立ちたい」とか、Twitterなら「フォロワーを増やしたい」とかもあると思うが、「自分が見つけたことを他人ともシェアしたい」みたいな考えもあると思っている。これは自分が既に満足して余っている(情報は一度生み出されれば無くならない)ので他人におすそ分けしたいということだと思う。

一方で、最初に上げた領主は、例え自分が食べるために十分な米を既に生産するだけの土地があり他が余っていてもそれを他人に無償で譲ることはない。これは封建制度において不作のときにも農奴を保護する、今で言う会社と正社員の無期雇用みたいな仕組みだったゆえかもだけど。

船の保有者も、自分が食う分には十分な魚を捕ってきても、余った分を他人に無償では与えない。これは食う分以上に魚を捕るには何十倍もの労力がかかっているからそりゃ無償では分け与えんだろうけど、例えば船が壊れずガソリンなどの燃料も一切必要ない無限使い回しできる資本だったとしても、自分が使っていない時間に他人にそれを無償で貸すだろうか?

この「余ったものは他人におすそ分けしよう」というのはほとんど民主主義ってやつなんだろう。本当の民主主義は「余る場合だけじゃなく、一旦各々が手に入れたものを集めて均等に分配」なんだろうけど、このやや資本主義の部分を残した民主主義があるべき形なのかなー?

ただ一方で、先に上げたように領主は農奴の安定を保証しないといけないし、船の保有者はメンテナンスや設備投資のために食う分以上のお金がいるし、何より各々が自分のための漁に励んでいては効率が悪い。

物々交換という、各々が得意なことで自分の必要分以上の価値を生み出して、それを交換によって生活を豊かにするという仕組みは効率的だよね。それがいつから「資本家こそ最強」みたいになったんだっけ。

最初の情弱ビジネスの話に戻るけど、それが良いか悪いかは置いておいて、例えば既にネット上に公開されている無償の情報を仕入れて、それを情報商材化して販売するというのは例えるなら「既に誰でも使える水汲み場があるのに、それを他人が見つけられないのを良いことに、その無償の水汲み場から水を汲んできて、売りつける」ようなビジネスだよね。

テクノロジーが進歩したのに、なんでいつまで立っても週5で多くの人が働かなきゃいけないんだ(答えは過剰競争だから)という疑問から資本主義について調べてきたけど、この週5の労働やビジネス競争から脱却するためには資本主義においては5,000万くらいの資産を持つか、何か自分が働かなくてもお金がまわる仕組みを作るか、土地や特許などの権利を持つかしないといけなくて、特に2番目においては「余ったから他人におすそわけする」という考えでは儲からないのかなぁと。

逆に「余った」=「自分の生活に必要なお金を、労働でなく資本から生み出せるようになった」と捉えれば、いわゆるFIRE後にはおすそわけの精神でもワークするのかな。ただ結局、投資家の年4%の利益というのは結局企業などへの投資がメインのはずで、企業にとってはそういった無償のおすそわけがされてしまうと利益が減るわけだから、結果的に投資家の年利も下がっていってFIRE生活からまた労働の生活に逆戻り?でもFIREしても適度に働きたいって人は多いと思うからいい感じの塩梅になるのかな。

朝に書いたのでまとまりのない文章となったけど、「この世は食うか食われるか、弱肉強食の世界で、君はブルドッグになるしかないんだ」というのはやっぱり避けようのない現実なのかなぁ。別に他人に優しくなりたいってわけじゃないんだけど争いたくないんだよね。

@maztak
日常のブログですがちょっとパブリックには言いにくいことを書いています。でも人間の本質に迫るような深い論考などが好きです。将来はここに書いたようなことをYouTubeで発信とかもしていきたい。