ちょっと前の記事にも書きましたが、ブルガリアの音楽を勉強し始めました。
ブルガリアの伝統音楽を研究している方がまとめた、海外取り寄せの教科書(幸いなことにe-book化されてた)を見つけたのでそれを頭から読んでます。全部英語なので読み返すのはしんどい…と思って、ノートを取りつつなのでスッゲー進まないんですが、e-bookなのでコピペで翻訳出来るのが最高に助かってます。時代はデジタルよ。
まだ序盤の歴史部分しか読めていないのですが、なかなか面白かったので歴史部分のみ紹介しようと思います。
具体的な手法は私がまず消化しアウトプット出来ないと文字化も難しいだろうし、あと表に出す気はないです。伝統音楽を模したものから発展版まで作れたらいいなぁ。
ブルガリアという国の歴史と音楽
そもそもブルガリアは1396~1878年、19世紀末くらいまでオスマン帝国に支配されています。
帝国から独立した後には社会主義時代が1989年まで続き、90年からはようやく今のブルガリアになっていきます。
この時代の移り変わりは、ブルガリア音楽に大きく影響を及ぼしています。
楽譜や和声法の発展に大きく貢献した「大バッハ」ことJ.S.バッハは18世紀に活躍した人です。
18世紀のブルガリアはまだまだオスマン帝国時代。悲しいことに、その時代は西ヨーロッパへの関与が(禁止こそされていなかったものの)なく、和声だの楽譜だのの技術が入ってきませんでした。
オーストリア、ドイツの音楽に触れる機会はあったらしく、限定的な和声(ハモリ)的な影響は受けているそうです。ただし、これは国の一部の地域の話。
19世紀、社会主義時代になると、共産党は国家を団結させるために「ブルガリアの本物の伝統音楽」を利用することを思い付きます。その収集・保管・発展のために資金を費やしたそうです。
しかし共産党は、せっかく他国からの影響を受け発展した新しい音楽もあっただろうはずなのですが、「本物の伝統音楽」以外をどんどん規制していきます。さらには、政府は特定の音楽スタイル以外は好みじゃない!といってたそうです。そんな横暴な。
ただし、結果的にブルガリアの一番濃ゆい伝統が残ることになります。
さらに1990年、社会主義崩壊後はお金がなくなってしまい、パトロンによってギリギリ保っていた伝統音楽は衰退していきます。
他国の伝統音楽と比べて歴史が浅く、かつブルガリアの伝統音楽のほとんどは国要因で減少した、ということが分かります。
Le Mystère des voix bulgaresの成立
ブルガリア音楽で有名なものというと「Le Mystère des voix bulgares(The Mystery of the Bulgarian voices)」です。
日本では「ブルガリアンボイス」なんて呼ばれています。
この団体はPhilip Koutev(フィリップ・クーテフ)が1952年に設立、現存しています。成り立ちが社会主義時代ど真ん中ですね。
社会主義時代というと、国が民衆をまとめるために「本物の伝統音楽」を強く推しており、他の音楽は抑圧しています。となると、このブルガリアンボイスは国が全力で推し、残していった「本物の伝統音楽」だろうことが分かります。
ところで、なんでフランス語なんでしょうね?Philip自身もブルガリア人なのですが…。この辺も少し調査してみると色々出てきそうですね。
音楽の変化
オスマン帝国は平たく言うとトルコです。トルコの方から支配が進み、エジプトの方まで進んだそうです。
ブルガリアの「結婚式の音楽」とかとトルコの音楽を聴き比べるといくつか似ている点があることから、オスマン帝国支配時代の音楽文化というのはブルガリアにがっつり根付いていただろうことが推測できます。
また使用する楽器も似ています。
ブルガリアではKavalと言われる縦笛がありますが、トルコにも似た音色の笛があります。縦に持つ擦弦楽器なんかも共通しています。
ブルガリアンボイスについては少し特殊です。まずハモリがあります。
ハーモニーを作る、つまり2声以上の音を重ねていくというのは「結婚式の音楽」にはありません。トルコの伝統音楽も基本は1声です。※ドローン的に鳴らしっぱなしという例を除く。
歴史の話で書いた通り、一部の地域ではオーストリアなどの西洋音楽の影響が見られます。ブルガリアンボイスもスタートは地方の村の合唱団だそうで、その地方で作られた独特なハモリのスタートなのかな、と考えています。
といったところで、今回のこの話は終わりです。
思っているよりも歴史が浅いことにまず驚きました。アイリッシュ系だと16世紀が〜ハープは紀元前から〜なんて話がフツーで、日本の音楽も雅楽は平安時代くらいからありますからね。
やはり内陸の音楽、文化は当初の形のままというのはなかなかないんでしょうね。