5月がもっとも美しい時季だと誰かがうたっていた。浄らかな風、まぶしい緑。春とも夏とも名を与えたくない、完璧な狭間のこころよさを、このごろ肌身に確かめている。
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写真。今年の目標は鮮度を高めに保つこと。
町のポートレート
ここも破れている
ガラス越しに映る大気が好きだ。
媒介されない大気も好きだ。
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頭が回らないが筆はそれなりにすすめている。
継ぐ予定も継がせる予定もないが、事業承継の本を読む。
蠍座の世界観は、生殖によって遺伝子が他個体へ引き継がれるように人と人が交わり、深いところにある大きく重たいものが受け渡されることが中核にある。融合と変容。契約を交わしたのち深く関わり合い、受け取り、互いに変容を遂げる過程。粘膜の接触、あるいは羽化を待つ蛹のどろどろとした内部。不動産、金融、遺産。人や世代を超えて受け継がれる、重要で危険な価値。
人は誰もゼロからこの世に生まれることはない。それは幸いであると同時に、多大な困難や危険も引き連れている。物的な財産も血縁地縁のしがらみも、文化や価値観、肉体と精神ですらそれを生み出した親個体との関係を切り離すことができない。贈与の関係では差し出した相手は受け取った相手を支配することができる。血肉や財産を分け与えることそれ自体が支配の手段であるなら、人は構造的な被支配のリスクを避けて生を受けることはできないといえる。しかし、それと同時に命や財を他者へ分け与えるということは、一個体のなしたものや記憶を世代を超えて存続させるための重要な、切実に代替不能な手段でもある。受け取り手の承諾によって継承が成立しない限り、そこで個体の系譜は途切れてしまう。
重要性と危険性が重なり合う濁った深淵が、蠍座の世界観の中核には存在している。ちなみに、その重層性、個人間の感情という固有性、厄介で複雑なしがらみを一切否定して、開かれた関係性と一般化した論理で切り拓くのが対極に位置する水瓶座である。事業承継にまつわる話題の場合、血縁などの固有事情によらない、合理的でオープンな手段であるM&Aなどがそれに当てがわれるような気がする。どんな場合にも広く適用される論理はいわば最大公約数的であって、個別事情の細部にまでフィットさせることは原理的に難しい。特に、割り切れない人の感情や思い入れといったものが密に絡み合い、簡単には切り離せない複合的な事象においては。
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言語的な思考が回らず文章の構成ができない。どうしようもないので、しばらくはそのまま載せます。