yonoharu
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蓮實重彦の1999年の入学式辞を書き写している。普段は、内なる完璧主義の獰猛な魂を刺激しないようにという切なる思いと、情報をスプライシングして要点を選び取る工程に知的な重きを置いていることから、何かの文章をまるまるすべて書き留めるということはほとんどしない。ただこの文章は、なぜかその後半部を軽く読んだ際にぽろっと涙がこぼれたことが気になって(自分の感情なのに)、それと文章そのものを貫く修辞やリズムが端正で美しいことも手伝って、文脈をへたに切り貼りするよりはいいかと思い、全体を書き写すことにした。本当に珍しく。

私にとってこういう実直な作業の類は、一度決めたら最後までやる以外の選択肢は基本的にないし、そのことには何の後悔もしない方だ。むしろ何かを決めて手を動かしてやり切ることに小さくない充実感を得る方で、このメモ書きの目的もおよそ半分は「緻密な作業から得られる充実感」という点にこそ置かれている。しかし生活の合間に書き始めて十数日、その文章の想像を超える長大さに、その選択が誤算であった気がうっすらとし始めている。

抜粋。この様子でぎっちり14ページ書き続けているが、終わる気配がない。メモ帳が手のひらサイズだからといって、そんなことがあるか。儀礼的な挨拶の類だろ。

当然写真には載せきれないため、ここでページが少し飛ぶ。

この辺りは内容や文脈の咀嚼が足りないのと眠たいのとで、だんだん字が乱れている。時に文字は声ほど能く人を表す。

数日おいて書き始め、ついでに何度か読み直し、やっと文意や意図するもののリズムに乗れて楽しくなってきた。一部に和文読解を補助するためのマークが登場している。これを初見の講演として耳できくのは、いったいどんな気持ちだったんだろう。

ちなみに、これを書き続けている間は他の内容を挟んでいないので(完璧主義だからだ)、その間に見つけた書きたいものがさっそく滞留している。こういう作業は本来楽しみであったものがタスク化して旨みがどんどん吸われていくのが一番つらいので、本当はなるべく避けたいのだけど、何となくそういうグダグダさも飲み込んだ上で一度やってみようかという気持ちになった。前にマシュマロに回答したのはつまりこういうことです。早くバックログを消化して新しい愉悦に着手したい。

今日、なんとなく申し込んだインタビューに関するトークイベントを聴講していると、西村佳哲氏の発言にて、思いがけず蓮實重彦の話題に飛び火してアッとなった。こんな仕掛かりを抱えている時に話題が重なることってあるんだ。

その内容はというと、インタビュアーはしばしば「相手の話を引き出す」という表現をするが、それは聞き手の方に重心を置いた考えではないか。聞き手が相手の話を引き出す時、話し手は「話を引き出される」のだから。そういう一方的な関係ではなく話が巻き起こるため、つまり聞き手が話し手の熱のこもった本当の「生きた言葉」を得るためには、聞き手の「聞きたいこと」と話し手の「話したいこと」が重なる問いかけをする必要がある。という話の流れを受けて、すぐれた投げかけの例に蓮實重彦が挙げられていた。

ある時ジャン=リュック・ゴダールのインタビューに訪れた蓮實は「15分だけ話を聞こう」と面談を許されたが、当のゴダールは新作の編集作業に没頭していて簡単には話しかけられる雰囲気ではない。そこで蓮實はゴダールの背中に向かって巧みな一言を投げかける。

「あなたの映画が全て1時間10分の尺に収まっているのは、職業的倫理観によるものなのでしょうか?」

それは、彼がゴダールの作品をあらかた網羅していること、かつそれらの時間尺に言及できるほど詳細な視点で鑑賞していること、そしてゴダールがまさに今、何百時間もの膨大なフィルムをわずかな尺に落とし込むという編集の作業をしている、つまりその瞬間に最も意識が集中している話題に合致すること、という数々の点で、そのたったひとことの投げかけの見事さを説明することができる。という話。結局、15分だけの予定だったインタビューは2時間超にもわたったそうな。

聞いた内容を再構成しているので正確でない部分を含むだろうが、そんな話であり、単純に人が人の話をきくということのメカニズムとして非常に面白く、刺激的な時間だった。例えば北から都へ向かう交易路と海から山へ向かう交易路が交差する場所にものが集まり人が集まり経済と街が発展するように、話し手の関心と聞き手の関心が交差する点をうまく捉えることができれば、既製の出来合いのものではない「生きた言葉」がその場その瞬間に湧き出でてくる。今ここにしかない反応のダイナミクスが展開する。人が人と生身同士でかかわることの面白さ、または厄介さはそこにあるんだな、と感心した。内容面以外で思うところは若干あったものの、非常に面白い会だった。またそこで感じたことについても改めて言及したい。

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