ゴーストライティングした短い文章を褒められた。他人の自己申告書類であるため、表現や修辞の美しさの問題ではないのだが、論理的な構成とピックアップした内容が気に入ってもらえたようだった。よかった。
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自分では話す時も書く時も、いつでも半分ぐらいは脳のコントロールを手放して、のらりくらりと出力している感覚がある。だから自覚の上でのわたしの話にはまとまりも手ごたえもなく、それどころか、発信がきちんと発言の体を成しているのだろうかということに、時々ぼんやりと不安になる。
しかし隅々まで神経を行き届かせようとすると今度は全体の注意のバランスを保てる自信がないので、消極的な選択としてそうするしかない。意識にできることは限られているため、それとなく力を尽くした後は、無意識の方のわたしを信じてふっと手を離す。
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占いにおいて四大元素の「水」はしばしば感情を司るものとして表現される。それは生命の誕生や活動に欠かせない恵みの物質であり、決まった形をもたず掴みどころのない物体であり、ものを溶かして流れる運動体であり、時に雨や波として大地やものを侵襲する大きな力でもある。理知の火や技術をもってしても制御することができない、太母としての自然。人の心。女性的なもの、揺れ動き抱擁するもの、ふくよかで豊かなもの。
わたしはそんな水のイメージに惹かれる。自分の胸の中にある丸い大きな水のかたまりが、濁ったり澄んだり、さざめいたり静まったり、涸れたりまた湧き出したりしながら、一定ではない姿でゆらゆらしている。理性は心という大きな水の中にわずかに混じる塩のような溶質に過ぎない。それは感情や無意識という溶媒による干渉を受けながら、揺らぎを受け切った後にだけ作用を及ぼすことができる。
混沌の中にひとつまみだけ溶け込んでいる塩。時々に水位が変化するのに合わせて、析出したり、また溶け込んだりする。わたしにとって、心の作用機序はそのような光景として描くことができる。