精神がどろどろになっているなか、人に誘われて這うように参加したセミナーが思いのほか良い場だった。西村佳哲さんによる短いワークショップ。
仕事というものを、人の行動原理やあり方が発露した総体として捉えるという考え方。海原に浮かぶ「島」が個々の仕事・成果としての仕事だとすると、広義の仕事とは水面下に島を支える下部構造を含んだ全体であるとするモデルだ。自分にとっての良い仕事とは、自分にとって違和感のない生き方である。だから自分に合った仕事を探したいのなら「人」をターゲットにしたらいい。自分がどんな人にピンとくるか、どんな人に光を感じるか。ある人と時間をともにすると「この世界にこんなふうにいられるんだな」という存在の感覚が得られる。その感覚をまるごと掴む。身のこなしや言葉の使い方、目線の配り方など、なるべく共に過ごして詳細な情報に触れていくことで、その人のあり方がじわじわと身に染み込んでくる。スキルや技術や個別のやり方ではなく、もっと奥深くに根ざして全体を支えている「人としてのあり方」に着目し、学ぶ。そのために、本当に会いたい人を見つけて、その人と一緒にできるだけ長く時間を過ごす。そうすることで「何をするか」にとどまらない、広い意味での良い仕事を見つけることができる。
仕事を「どこで何をするか」ではなく「人や物事とどのようにしてかかわるか」という切り口で捉える、という点は私の考えに近かったが、それでいて新たな地平を拓いてくれる、より拡張性のある全体的な概念が面白かった。仕事に用いる個々のスキルや技術を支える価値観や考え方、さらにその下にある「あり方」、存在感覚。それらは言葉によって表現できるものではなく、ゆえに教えることもできず、自分で感じ取って捉えるしかない。ある人に通底する「ただごとじゃない何か」。振る舞いや佇まい、芯のようなもの。
「考えてもわからないことは、考えてもわからない」とは講師による言葉だが、思考して答えが出せないのは情報か知識が足りていないというわけだから、いずれにせよ参照先を内部ではなく外部に移したほうがいい、という意味合いとして受け取った。経験と情報の不足。生き方という枠組みの種類を充実させるということ。ボトルネックが単なるインプットの不足にあることはそう珍しくない。知らないこと、まだ想像がついていないことは人を容易に不安にさせるから。問題の核心が不安である場合には、行動や事実をどう変えようとしてもそれは根本的な解決をもたらさない。
私は、物事には意味と意味の間をつなぐ冗長な「無意味」が含まれると思っている。意味は離散値(デジタル)としてではなく連続した配列として、無意味や別の意味たちと切れ目なくつながっている。先に述べた、人と時間を過ごす中でその人の所作や立ち居振る舞いの詳細を感じ取るというやり方は、事象をアナログな考え方で捉えたものだろうと思う。意味の部分だけを継ぎ接ぎしたものを取り込むことと、無意味を含めた連続量の総体を取り込むことは、目的という軸に照らせばどちらも区別されないかもしれないが、全体を比べるならきっと同一ではない。なぜなら、人が現在定義している「意味」はその可能性全体からいえばほんの一部でしかなく、また、人は物事を意味ではなく体験という単位で経験するしかないからだ。たとえ二者の意味が同一でも体験は同一ではない。経験は知識になるだけでなく心の揺らぎを引き起こすから、たとえ同じ量の意味に触れていてもそれによって生じる変化は同一とはいえない。
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雇用などの概念から一旦切り離して仕事というものを捉えるとき、人が内発的な欲や自己保存のためだけに留まらず何かの行動をするという営みは、やはりそれ自体が尊いと思う。向かう先は社会という大きな共同体でなくてもいい。人が持てる力やリソースを誰か他者のために用いる、それが道徳や善意ではなくある種の合理的取引の動機(仕事を提供し合うことで互いに利益が得られるという認識)によってシステム状の構造となり、相互に結びつき、自ら駆動し、持続的に成り立っているのが良い。またそれが全人的な活動であるがゆえに、個人や集団の感情や心理、関係やコミュニケーション、哲学と切り離すことができない点も味わい深い。人生をかけても考え尽くせない、巨大な複合体だと思う。
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複数回の転職を経てほとんど力づくで人事に近い領域にやってきたが、ここにきて興味の源泉や動機と対象の実態がちゃんと想定通り繋がっていることがわかってきて少し安堵している。人間として人間とかかわることはまったく得意ではないが、思考実体として人というものを考えることは好きだ。人はそれ自体が複雑なシステムの成果であると同時に、人と人とがコミュニケートして関係をつくり、その集積が組織というまた別の巨大なシステムを形成している。それらのシステムはどのレイヤーにおいても大きくは合理と情理という二つの異なる原理が複合的に作用するから、最終的には要素に分けたものを統合して全体的な検討や評価を行う必要がある。この統合という観点が私にとって最も魅力的で、一つの原理をストイックに突き詰めていくことより、多くの要因が複雑に絡み合うものをカオスな総体として捉え、全ての結果としての挙動をなんとかして解き明かすことが面白いと思う。シンプルなものより複雑なもの、そして、雑多なのになぜか噛み合ってうまく動いているものが好きだ。現時点でアカデミックではなくビジネスの場が良いと思うのも、まさにその複雑なシステムが絶えず外部刺激や変化の必要性に晒されている前線に身を置きたいから、と言えよう。
現職場に入るとき、なぜ興味の対象は「人」なのかと聞かれて、上記の3割ぐらいしか回答に反映できなかった。今なら複雑性や統合という部分に焦点を絞って答えたい。