それから無事しごとを終えてとんぼ返り。本当は東京で写真を撮りたかったけど、荷物が多くてはじめから何も余裕がなかった。今度にする。私は自分のにおいがついていない場所ならだいたいどこでも好きで撮りたくなるけど、他の都市、とりわけ東京という場所は、土地の包含するコンテクストやその密度が格段におもしろく、別格だ。写真的な意味での色気や艶っぽさ、ぐいっと覗き込みたくなる魅力がある。おおよそ都市というものに生まれ育った身からすると、街という構造を同じくしながら自分の知る場所とは知らないものや気配が詰まっている場所のことが気になって仕方ないのかもしれない。場所が変わることで明確に土地や空間の放つニュアンスが異なることを感じる。
むかし何かで熱心に話したことがあるけど、都市とはおおきな器で、それは別にネガティブな意味ではなく、器のからっぽな内側に膨大な暮らしや文化や交通や経済といったあらゆるものや現象、流れたちを豊かに湛えている。もっとも当然ながら都市に限らず人の暮らす土地や空間はどこも同じ機能を備えているわけだけど、今まさにたくわえているものと、少し前にそこにあったもの、その両方で都市のもつ物量と奥行きが他を圧倒する。人と人にまつわるものたちの気配が濃密に時空に充填されている。私は写真を通じてそれら気配を写し取りたい。
2018冬。宮城から南下してきたからか、冬なのに光が眩しかった。
これは大宮かな 北へ帰るとき
時期や季節、撮り手としてのコンディションや感性や自分がそのとき個人的に置かれている状況も大いに関係しているけれど、こういうモチーフや空気、光の具合を今この場所で撮ることはできない。この頃に見えていたものをもう一度味わいたいと時々思う。
2018夏。強い熱。
これは似ているけれど別の標識……かな。同年冬。
2019春。雨あがりの茅場町は驚くほど光がやわらかい。
今はもしかすると、この頃ほどには景観やモチーフ、撮影という行為に興奮する力が足りていないのかもしれないな。回転数をうんとあげよう。美しいものを狩りに街へ出よう。
これは直近1年未満の大阪。私の撮り方や感じ方も変わっているかもしれないが、景観の方にある佇まい、まとっている空気の匂い、粘性、そういう何かがちがうと思った。
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器といえば、東洋陶磁美術館が完全リニューアルして4月に開くのが楽しみだ。なんてったって私には年パスの残り期間があるんだからな。
立て直し前の。展示室には当然窓はないが、建物としての光の採り入れ方がすこやかだった。ウォーターフロントが感じられる。
器が撮影できる!