想像以上に自分が傷ついているということがわかってきた。心が、どうやっても片付けられない部屋のようだ。嘘に嘘を重ね続ける短歌、意味に背いて反意味を紡ぎ続ける短歌を読んでいる時と同じ傷つき方をする。短歌の方でいえば我妻俊樹さんの歌集がそんな感じで、今の気分で開くと二重に傷つきがやってくるので想像以上に疲れてしまった。
試しに書くBGMとして環境音を鳴らしてやると驚くほど頭が平静になっていく。今は別の何かに意識を半分持ってもらうことが必要らしい。
*
心が落ち着きを取り戻すに伴い感じていることの詳細について書くことを試みたが、状況が何もかも信頼に足りないと判断し取りやめることにした。一つ言えることはコミュニケーションが困難であるのはそれが双方向的なものであるということだ。関係する二者のどちらの所有でもある。ある関係が一方にとっては実りあるものでも一方にとってはそうではないというのはいずれの視点からも真実である。ましてここはインターネットだ。少なくとも個人の余暇と娯楽のためにある場では、自分にとっての不都合と不愉快という不利益を無理してまで受け入れ続ける必要はどこにもない。他者を意図的に侵害しない限りは各々が好きにすべきだし私もそうする。残念ながら、多くのことがnot for meだったというだけなんだ。自分にも変化があり状況にひずみがあり、私はそれに耐えられなくなった。
良心のようなものが苛まれるのは、状況に耐えられない一方で私がそれだけ関係というものに一定の情を抱いているからだと思う。人や関係のことは好きで非常に大事に思っているが、それと同じぐらい私にはある種の耐えられないことがある。