Lifetime

yonoharu
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『葬送のフリーレン』アニメ最終話まで観た。種々の描写に手ざわりが感じられるほど細部の作りが本当に丁寧で躍動的で、全編を通して鑑賞の心地がよく至福だった。映像は、書き言葉や静止画とちがって時間依存で味わうものだから、良い時間の流れ方をする作品が一番良いね。

つい先日気づいたが、OST(プレ版)がすでに配信されていた。本編では声優の抑揚の効いたトーンも相まって、映画のように体感時間を豊かに含ませて進行するタイプの作劇だと感じていたが、改めて楽曲を聴くとそのディレクションが隅々にまで行き届いていて思わず唸る。雄大な広がりをもつメインテーマも、徒歩の旅路や追想を象徴する物寂しく温かい楽曲も、力強く確かに本作を彩っている。

▲メインテーマ曲と映像の合致が素晴らしい。大サビ(といっていいんだろうか)のところ、作るの楽しかっただろうなあ。

具体的なことを論じられるほど知識はないのだけど、楽器が古風で雅やかな響きをしていたり、打楽器やパーカッシヴな音の使われる場面が非常に限定的だったりするところにこだわりを感じる。

と思って確認したら実際に作曲者インタビューに言及があった。

"通常は、オーケストラのテーマに加えて、民族楽器を使うことが多いのですが、今回は古楽器(現代に至る演奏史上で廃れつつある楽器)を取り入れるために、別の楽器も試してみました。"

"「レベック」と言う楽器を使いました。バイオリンみたいに広がる綺麗な音は出ない、どちらかというと詰まったような音がする楽器です。"

うあああ面白い。twitterには作曲者による各回の劇伴曲にも言及があって、めちゃくちゃ豪華。来月にリリースされるOST本編には全70曲が収録されるらしく、フルで聴きながらコメントを辿れるのが楽しみである。

プレ版の収録楽曲でいうと、Fear Brought Me This Farはストリングス中心の緊張感と気品あるリズムが、もの悲しくも勇壮な覚悟を描いている。劇中では9話の戦闘シーンのクライマックスに使われているのが好き。満月の下、師弟の因縁が感じられる激闘の末に決着を迎える逆転劇のシーンだけど、激しく高揚感ある楽曲ではなくこちらが使われるのが渋い。合間に密かに挿入されるコーラスからも、人の声には特別な力があることが感じられる。

(追記)師匠を意識して作った旋律らしい。そっか、その選曲なんだ。作品全体を通して弛緩と緊張のバランスが巧みなんだけど、後者を担う楽曲として空気を引き締めているのがいいね。師から教わることは生死を分けるタイミングでこそ輝くから。アイゼンの、圧倒的な強者でありながら戦いにちゃんと「恐怖」を感じるというあの台詞も、楽曲の打ち震えるような緊張感で表されている。

人の声といえば、Zoltraakは曲名のモチーフの通り「人を殺す魔法」が象徴する戦闘用のBGMで、エキゾチックで力強いヴォーカルが異彩を放つ。その種のゲームで育った人間にはシンプルにこれが特に効く。負けたら終わるタイプのボス戦なんよ。作品全体を眺めてみても、「旅」やその追憶、悠然とした時間やのどかな景色との強烈な対比として骨太でシリアスな戦闘が描かれているが、その静と動の「動」の部分を担うためのアクセントとして当楽曲がこの上なく機能している。それに、ゾルトラークという名称(および本格的な戦闘シーン)が初出する3話ではヴォーカルなしの別アレンジが、9話の命を懸けた戦闘ではヴォーカル有が使われているところに重み付けの意図を感じた。3話だとこちらの命を顧みる必要もなく決着がついていたからね。劇伴を追いかけて本編を見返すとまた発見が多くて味わい深い。

というか当たり前のように生オケなのすごいな。椎名豪の生音源で育ったから、劇伴やBGMに異様なこだわりがあるとめちゃくちゃ嬉しいんだ……。

また、音楽とは異なる視点でいえば、原作時点では特段締めでもない通常の回であるが「アニメの最終回」としては非常に取り合わせがいい(グランドフィナーレの風格と幕引きの余韻がある)という観点が面白いと思った。

コンピレーションを作るときの発想に近い気がする。元のアルバムでは特別な位置付けではない楽曲をフラットな印象を参考にオープニングやエンディングに配置することがあるが、その仕掛けがうまくハマるとめちゃくちゃ嬉しい。文脈から切り出して単体で捉えた時に浮かび上がる印象を探るのが楽しい。

ちなみに、再掲するほどではないけど、演出やメッセージの作り込みへの印象についてはこちらで述べた通り。全面的にコンセプトに沿って誠実に作り込まれているという印象は変わらず、最終回まで充足感のある見ごたえだった。

人が老いることの背後にある生きざまの蓄積について、真っ直ぐに描かれているのがいい。老いるというのは、ただヨボヨボのシワシワになって衰えることじゃないし、老いた人は「老いぼれ」としてただ弱々しく消えていくわけでもない。そこに至るまでの時間と経験が幾重にも降りかさなって彼/女の人格と融合し、彼/女の生の証が凝縮する。そしてそれは記憶や技術となって引き継がれ、ある人の中や、誰かとの間に証が生き続ける。

「生きているということは、覚えていてもらうことだ」

とは勇者ヒンメルの言葉だが、これは物語を外形的にも実質的にも象徴する言葉として捉えていいと思う。生きるということを奥行きのある時間軸と真っ直ぐに捉え、その時間軸を俯瞰しながらいくつも横断していく存在として長命種であるエルフが登場するという構図がいい。そしてさらに言えば、それらの物語を圧縮して観測する読み手=私たちもまた、物語の中に生きた彼女たちのことを永く記憶し、その内や人との間に生かし続ける装置であるのだろう。

とまあ、人の生きる時間というものに対して芯のある捉え方をしている作品なので当たり前なんだけど、モブの村人含めジジババ諸君の描写が圧倒的に信頼できるのよね。外形的な老人(デンケンやレルネン)も実質的な老人(フリーレンやゼーリエ)も。作品コンセプトでいえば彼/彼女らがど真ん中だから。かつてとその変化を知る古き者としての老人、若者に道を説く賢者としての老人、引き継ぎ託す師としての老人、そして、老練で老獪な強者としての老人。全方位にうま味たっぷりで満足している。私が老いてしまう前に2期も早めに来てください。

@mecks7
労務と微熱 tw: @mecks7