yonoharu
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試験というものが本当に嫌いで嫌いで、それだけが要因というわけではないが昨晩前夜にしてついに発狂してしまい色々あって利き手の爪を0.5mmほど剥がす小怪我を負った。本番の手ごたえは普通だった。大人になってまで何をやっているんだろうと順当に頭を抱えてしまうが、それぐらいプレッシャー的なものや自分の力をむやみに試されている状況に耐えられないところがある。大学の学部では9割が大学院に進学するか国家試験を受けるかであるという極致的な環境にいながらこの特性のために逃げ出すようにジェネラルな職種での就職を決めた(技術を生業にするのも根本的に向いてなかった)。もちろん経緯と背景はそこまで単純なわけではないが一面から切り取ればそんなものだ。

試験会場は初めて訪れる郊外の大学で、幹線道路と工業河川が印象的な、今は自動車関連業と介護業と遊戯業が盛んな町だった。路傍の自販機の平均売価が70円ぐらいで、奥大和の水が500ml50円で投げ売りされていたので買って歩きながら飲んだ。それからパンを食べ、帰宅してから雑に睡眠をとり、夜に目覚めてジムでしばらく走った。帰り道には春の夜の雨のにおいがして驚いた。冬に置き去りにされた嗅覚が温かく湿った匂いに解けていく。色々、色々あり、心がずっと半分ぐらい泣き出しそうなままでいる。試験は本当に嫌で、何か気晴らしをしようとしても「勉強しなきゃなあ」と常に片手で意識を圧迫されていたのが苦しくてたまらなかったのに、いざやり過ごしてみるとランドマークを失ったように茫然としていて、それも困る。困るんだよなあ。

春はおおむね好きな季節だけど、場合によっては、冬に置き去りにしていたはずの五感が感情を置いて先へ先へ進んでしまうことがあるから、手放しに好きとはなかなかいえない。感情を五感の目覚める速度が追い越してしまうと、感じたくないのに感じてしまうことを受け入れるしかなくなる。まだしばらくは泣いて眠っていたいのに。体が先へ先へ、目覚めていってしまう。

精神の大部分が感情になってしまったようだ。単に時期としてそういう過程にいるのか傷ついているがゆえの反応なのかわからないが、痛くて苦しくてそれでいて恍惚とするような、妙な興奮の只中にいる。ぬるっと匂い立つ春の夜の空気だ。思考にはまったく向いていない。心が何かを治そうと頑張っているような気もする。とても落ち着かない。本当は私はこういうところが本体なのだろうけど、それを真に受け入れられる人は自分以外に誰もいないと思っているので、ものすごい孤独に陥る。解消を志向できない構造的な孤独。人とつながるためには伝わる言葉が必要で、伝わる言葉は一定の軽さのある感情しか載せることができない。泥のような感情、感覚そのもののかたまりはどうやったって人に受け渡すことができない。直接、あるいは詩の透明な手でさわろうとすることでしか。それは伝わる方の言葉に仮託できるものではない。私は今、言葉から遠く疎外された、温かい巣穴にいる。

 きみがきみを調律しそこなったとき手紙はほんとうによく燃える /橋爪志保

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