【読書感想文。ネタバレあり】
夏川草介さんの『本を守ろうとする猫の話』を読んだ。
内容としては、本や読書をめぐるファンタジーもの。ゲームのように各ステージにボスが一人居る構成にワクワクしてしまった。心象世界というか、そのボスの性質を示す舞台に入っていくという構図大好きである。こういう話書きたい。
物語の軸にあるものは「本の力」「人を思う心」それから今の世の中に対するちょっとした皮肉。あとがき解説の方に作者さんが描きたかったことを書いてくださってるので、それも合わせて、気になった方は読んでみてほしいなと思う。たぶんかなり読みやすい部類の作品だと思う。読書慣れしてない人でも読みやすいだろうから勧めやすさもある。
だが、それはとりあえず置いておいて、芽高が考えたことや思ったことをここには記してみる。読み方があまり素直ではないかもしれない。主題を差し置いているような気もする。それでも思ったことを書き記しておきたい。
私がこの物語を読んで、真っ先によぎったのは切なさだった。各迷宮の主たちに感情移入をしてしまったからだ。彼らは、あるものは冊数ばかりを誇示して本を読んだ、あるものはあらすじだけを切り取って読書とした、あるものは売れる本を作った。これらの行いと同じ行いを自分がしているかと言うと基本的には否である。では何に感情移入をしたか。
本が好きだ、ということである。
迷宮の主たちは色んな手を使い、本を生き残らせようとしている。その手段は、効果はあるものの本が好きな人間としては納得はできないやり方である。主人公もそれは違うと感じていたようだ。けれど、彼らはそれが本を生き残らせる唯一の手段だと信じてしまったのかなあと思っている。
彼らの言葉には「嘘」がある。主人公は、第一の迷宮の主に「本を愛しているというのは嘘だ」と言った。これに対して私が瞬間的に「迷宮の主はこの行為が愛のある行為ではないことを本当は自覚していたのかな」と思った。
愛していないというより、愛しているならやるべきことではないことをやっている自覚があって、自覚があるのに「私は本を愛している」の述べていたのではないかと。
自分が大人になって色んな事があった。正しくないと知っていてもそうせざるえないこともあった。最優先すべきことの為に捨てたものもあった。大人である迷宮の主も本当はただ本を愛して、好きな本を読みふけって時間を過ごしていたかっただけだったのかもしれない。
本当に、「本の読んだ冊数をステータスにしている人間」にも、「あらすじだけで読んだ気になっている人間」にも、ただ「稼げればいいと思っている人間」にも、主人公の言葉は響かないように思う。それが響くのは、主人公と同じように素朴に愛していたかったからではないのかなと考えてしまう。だからこそ結果的に彼らは素朴に愛することを選び、窮地に立たされながらも胸を張って幸せを感じる形に至れたのは非常に良かったなと感じている。
世の中には色んな読書をしている人が居て、中には本は好きでもない人も居るのだろう。正直に言えば法的に問題がない範囲では、そこは人の自由となってしまう。見栄の為に本を読むことなども含めて、他人がそれはおかしいというべきことではない。だから、迷宮の主たちがもしも、ただ本をツールとして利用するだけの人間であれば、そこから本を開放するというのは違う気がするのだ。そうではないから主人公たちが本を開放するのを応援できたような気がする。
色んな人間がいるが、世間や世論の波にのまれ、「好き」を歪まされることのないように祈っている。これは、読書に限った話ではない。すべてのことがそうだ、推し活だとかそういうことも、趣味も勉強も全部。好きの表現の仕方を歪まされないように。みんなが自分のペースで自分の思うとおりに好きと向かって行ければいいなと思う。