自創作の中では、三人の平和主義者が登場する。
一人目はセオドア。兵器を嫌い、戦いがなくなることを願っている。
二人目はルミナ。人々の心が豊かであることを願っている。
三人目はニケ。戦いによる汚染を嫌い、青い空が守られることを願っている。
全員少しずつ違うわけだが、メインキャラクター10人の中で3人が明確な平和主義者であるのは、なかなか珍しいかもしれない。そのほか、前に参加させていただいた企画、「novel首塚」でも、作中当然のように戦争のシーンが出てきた。とにかく戦争に傷ついた人がよく出てくる。
とはいえ、私は歴史やミリタリーや、そういう方面に明るい人間ではない。興味の幅は文学からサブカル位で、見る作品も食堂ものやギャグなどほのぼのしたものがほとんどである。政治に対する強い主張が明確にあるわけでもなく、ただ心のうちで平和でありたいなあと祈る程度の平々凡々な人間である。
ではなぜ、私はこんなにも作中に戦争と平和という題材が出てくるのだろうかと考えてみると、小学生のころにさかのぼる。
転勤族だった私はあちらこちらの学校で過ごしていたわけだが、その中に「廊下に凄惨な戦いの跡の写真を張り出している」学校があった。
特に印象に残っているのが「影だけ焼き付けて消えた人」の写真だ。段差みたいなところに、人の影だけ残っている。下の説明文に、原爆により亡くなった方の影だと書いてあったと思う(少しうろ覚えである。間違っていたら申し訳ない)
そんなものもあったなあと思い返すことはあったが、よく考えると、あれは私にとっての原点の一つかもしれない。あの奇妙な感覚を言語化するのは難しいが、ただ「影だけを残すことがあるのか」という極めて冷静な感想だけを抱きながら、何故か事あるごとにあの写真を見に行った記憶がある。
特別強い衝撃を受けた、という認識はない。けれど、今でもどこの壁にどう貼ってあったのかすら明確に思い出せるのだ。きっと私の脳裏に焼き付いた、と言っていいだろう。
そのほかにも小学生の頃は度々戦時中の話を見たり聞いたりする授業があったが、それらも内容こそ覚えていないものの、私の心に刻まれているような気がする。そして私はあの授業があってよかったなあと思っている。
私の自創作では結局のところ平和は為されていない。何故なら、私がそうなる未来が見えていないからである。けれど、キャラクター達にはそんな雑念はなく、ただ理想の為に邁進している。いつか彼らから平和の作り方を教えてもらう日が来るかもしれないと思いながら、私は今日も作品を作るのだ。