とても好きな作品が完結した。賛否両論あるが私はとても好きだ。宝物の作品になった。
しかしこういう時どうしても「否」の意見の方が目に入ってしまう。ついついぐさぐさ刺さる言葉を読んでしまう。SNSから離れるべき時は見極めないといけない。
ただ、私の好きなものを合わなかったと思う人がいるように、周りの人は大絶賛しているけれど私は許せないものもある。複数の人から勧められて触れたコンテンツがあまりにも自分の倫理観と合わず、「この作品を社会学の視点で批判した論文が読みたい。なんなら私が書くか?」とすら思ったこともある。割と最近のことだけど。
こういう、周りの人はとても褒めているけれど自分は受け入れられない作品に触れた時、確かに自分の内側に凄まじい量の熱が溜まるのだ。「なんでみんなこれを読んで楽しいんだ?怒っているのは私だけなのか?」という気持ちは正直よくわかる。
ただ、その湧き上がってきた感情をどうにかうまく整理しないといけない。そして、合わないと思ったら離れるしかない。時間が経ってまたその作品に触れた時、とても好きになるかもしれないしならないかもしれない。
本当に無理な時はそのコンテンツから去ることができると思う。去ることができないならばやっぱりどこか自分も気に入っている箇所がそのコンテンツにある証拠であろう。「文句言うために見る」ことって、実はそのコンテンツに惹かれている証拠でもある。だって見ているんだもん。本当に嫌いなら去れるぞ。
「全部見てから意見を言いたい」というのって、多分突き詰めれば「好き」になるんだと思う。本当に無理なら途中でも離れるしかない。それ以外に出来ることはない。離れられないならそのコンテンツを好きってことだ。
結局受け手は趣味として受けることが多いエンタメなんだし。無理なら無理で離れるしかない。そしてどんなに周りの人が無理と言っても自分が好きならばそれで良い。そういう単純な結論なんだよな。実際。