7月6日からアニメ「逃げ上手の若君」が始まる。
松井優征という稀代の連載計画性を持った漫画家が歴史物漫画を書く時点でこの作品は勝利確定SSR演出が出たようなものだ。第一話だけでも良いから原作も読んで欲しい。SSR確定演出だから。
松井優征先生という漫画家は秀才である。天才ではないかもしれないが秀才だ。漫画だけでなく小説、脚本、エッセイ、詩歌、あらゆる「天才」と呼ばれる創作者たちが欲しくても欲しくても届かない、極められ研ぎ澄まされた論理的思考能力の中で物語を作る秀才だ。ここまでロジカルに物語を紡げる作家はあらゆるジャンルを横断してもそんなに多くの数は見つからないだろう。
「魔人探偵脳噛ネウロ」完結時に「いつ連載が切られても良いように、1巻分ならここまで、2巻なら、3巻なら、5巻なら……といつ連載が終わるのかパターンを複数考え、一番長いプランの20巻分の物語を、実際ちょっとはみ出たけれど23巻分の長さで描くことができた」というコメントを読んだ時、稲妻に打たれたような衝撃が走った。
生き馬の目を抜く週刊少年ジャンプの連載。群雄割拠で原則毎週最新話を描かなくてはいけないというあの環境で、なぜここまで計画性を持って物語を描くことができるのか。しかもネウロは本当にキャラクターがキャッチーなだけではなくプロット全体が魅力的である。
それはその次の大ヒット作「暗殺教室」でも同じで、「殺せんせー」という強力なキャラクターを一人描き、その周りの登場人物を群像劇としてとてもうまく描く。何より「暗殺教室」は斃れていった者たちへの哀悼に満ちた作品であり、予想を裏切る展開と緻密に張られた伏線とその回収が見事なのだ。
そんな計画性の鬼、松井優征が歴史物を描く時点でこれは成功することが決まったようなものなのである。しかも題材は北条高時の遺児、北条時行である。
連載が始まったのが2021年の1月。ちょうど連載1周年の頃に主人公の先祖北条義時の物語「鎌倉殿の13人」が始まったのもタイムリーだった。鎌倉幕府の始まりと終わりを同時に見届けた2022年。大河ドラマは1年間という放送枠が決まっているが逃げ若はどこまで書いてくれるだろうか。
私がファンタジーと歴史物どちらが好きか?と言われて迷わず「歴史物」と答えるのには理由がある。「何がどうしてこうなるのか?」の説明に「史実だから」と答えられるからなのだ。
どうして乙巳の変で蘇我氏が滅びるのか。どうして壇ノ浦で平家が滅びるのか。どうして大坂夏の陣で豊臣家が滅びるのか。どうしてこんな凄惨な描写がなされるのか?その答えが「史実だから」で済むのだ。
「済む」という言い方はとても乱雑だ。史実を現代のエンターテイメントととして表象するためにも大変な努力が必要になることは「逃げ上手の若君」を読んでいてもひしひしと感じる。
ただ、どうして北条氏はこんな凄惨な滅び方をするのか。どうして諏訪氏が援助するのか。どうして足利尊氏がこんなとんでもない勝ち方をして天下人になるのか。そこの説明が「史実だから」になる。ここに私は安心感を見てしまう。
この史実をどう演出するか、どう語るのかは各作者のセンスに左右される。しかし、あの週刊少年ジャンプの初連載の時から「何巻で終わるのか計算した上でプロットを複数作っていた」松井優征が「既に作中起こる出来事も主人公の結末も文献を調べればわかる」歴史物を描く時点で、面白くないわけがないのだ。
計画的に物語を紡ぐことと、そこで実際に起こった事実を題材にすることはこの上なく相性がいい。
しかもあの群像劇の名手松井優征が描くのだ。マイナーな時代とされてきた南北朝時代を。これが本当に本当に面白い。
私は原作を単行本で追いかけているが、北畠顕家という若き南朝側の公家兼武将が本当に好きでたまらなくなっている。当然北畠顕家の末路もWikipediaに載っているしNHKの番組で紹介されもする。それでも松井優征の手にかかると、「こんな描き方があったのか!」という驚きを持って動乱の時代を生きた人々がとても魅力的に描かれるのだ。
足利尊氏がこの作品のラスボスになるわけだが、ネウロの頃から培ってきた松井優征に「化け物」の表象が本当に見事なのでどうか読んで欲しい。
逆に言うと、ファンタジーは「何がどうしてこうなるのか?」という疑問を持った時にそれが解決されないと本筋と関係ないところで私は読み進める手を止めがちなのだと最近わかった。
流石にハリーポッターで「なぜ魔法を使える者とそうでない者がいるのか説明しろ」とは言わないが、指輪物語も十二国記も「なぜそもそもこのファンタジー世界が存在するの?」と思うタイプなのだ。だからファンタジーがなかなか読めない。
勿論ローリングに対してはハリーポッターの読者の中にトランス当事者は必ずいたということに気がついて欲しいし、ウィザーディングワールドという彼女が考えた世界にブロマンスがあってもトランスがいないとするのならそれはたとえ架空の世界であっても許されないことだと思う。ファンタジー世界を作り上げること自体がとても政治的なのだ。
歴史物だってとても政治的だ。もちろんだ。ただ、私は一からのファンタジーよりは歴史物の方が「こうやって作者は史実を描くのか」と思えて好きだ。もちろんそこに私の好き嫌いも生じるのだが、なぜ好きなのか、なぜ嫌いなのかを明確にしやすい。
連載の計画性、キャラの引き立て方、マイナーな鎌倉末期南北朝初期という設定のチョイス、そして何より魅力的な漫画の構成。尾田栄一郎が天才だとするのなら、松井優征はプランニングの鬼、秀才である。
この漫画に色がついて動くとしたらとんでもなく面白いぞと思っていた漫画がいよいよアニメ化する。放送開始前には最新巻も出る。じっくり読ませてもらおうと思う。
回り道をしたがどうかアニメ「逃げ上手の若君」を見てほしい。アニメのタイポグラフィ担当がスタァライトの濱さんなので、スタァライトファンにもおすすめできる。