年明け早々に、世を騒がせに騒がせたあのコロナウイルスに罹った。
こんな引きこもり生活をしているのに何故……と思ったが、思えば年末年始は普通に仕事で、様々な地方から来たであろう様々な客と接触していた。こちらはマスクをしていたが、世の中ではマスクをせずに外出することも普通になってきているので、明らかにヤバそうな咳をしているお姉さんでさえマスクをせずに買い物をしていたほどである。
発症した日が1月6日~7日にかけてなので、潜伏期間が概ね7日程度とすると、まあちょうど年末年始の只中に不幸にもウイルスを拾ってしまったのだろう。副反応で痛い目を見たことがあって、5回目のワクチンを打ちに行ってなかったのも良くなかったのかもしれない。流行の最中はワクチンの副反応で休む際に特別休暇が出ていたのだが、それがなくなったのもあり、二の足を踏んでいたのだ。結果として、副反応で休むよりも長い休みを取る羽目になってしまったのだが……(愚か)。
個人的に、今回痛感したことは以下の点だ。
・食料の備蓄は大事
なに当たり前のこと言ってんだという感じであるが、病気に限らず災害時においても、食料の確保は大変重要なことである。特に重要に思うのが「どんな状況、どんな体調であっても食べられるものを備蓄しておくこと」である。今回コロナに罹り、特に喉に重たい症状が出たこともあって、固形物を食べるのは当初かなり難儀だった。助かったのはレトルトお粥。やはり伝統的な療養食だけあって、食欲が無かろうと喉が腫れていようと容易に食べることができる点は非常に優秀。そして温めずとも食べることができるので、熱源を確保できない非常時でも食べることができるのだ。これは便利。保存期間はさほど長期ではないが、常に何食分かストックしておくようにしようかなと思っている。あとはフルーツ缶。やっぱり甘いものは心が豊かになるのでね。
・ひとり暮らしは健康がなによりも第一
これも十分に理解してはいたことだし、そうでなくても当たり前のことなのだが、ひとり暮らしの場合、どれほど身に重篤な病が降りかかっても自分の世話をできるのは自分ひとりなのである。比較的健康寄りなのでそれほど気にしたことは無かったのだが、今回熱がガンガン上がったとき本当に一回「寝たら死ぬかもこれ」という予感があった。家族がいれば、救急車を呼ぶことも出来ようが、ひとりの時にまともに声も出せない、動けないともなるともはや詰みである。若く体力のあるうちはまだいいが、今後肉体は衰えていく一方なので、健康には一層気を遣わねばならないなと思わされた。ご飯をよく食べ、そしてよく寝ることはとても大事なことだ。
あと、おでかけするときもせめて咳をしている人だけでもマスクはしてほしいなあと店員してる立場からは思いましたね……せめて……やっぱり見てるとちょっとひやひやするからね……。
流行の全盛期は過ぎたであろうが、まだまだ世にこの病気が蔓延っている以上、これからも罹患する方はいるであろう。何かの参考になればと思い、以下に罹患した際のことを記録しておくこととする。
ア、そういえば! 感想レターが入っていました! ありがとうございます! これからも見守ってくだされば幸いです!
■1月6日
朝から喉に違和感がある。前日に麻雀を打ちながら滅茶苦茶な野次を飛ばしていた(最悪)ため、がなりすぎて喉を傷めたのかな? くらいの感じで出勤。だんだん風邪っぽいかもと思い始め、休憩時間に職場の傍の病院に凸ろうと思ったが時間が合わず、明日の休憩時間に行こうかなと考える。とりあえず強そうな市販薬と栄養剤を買って飲んでみるが、どっこい夜中になって急激な発熱を感じ始める(体温計が壊れていたため測定できず)。眠っていたのかいないのかよく分からない状態が続くまま朝を迎える。
■1月7日
職場に連絡をし、朝から病院へ。発熱から間もなかったため、インフルやコロナの抗体検査が正確にできない(概ね発熱から24時間経過しないと正確にできないらしい)こと、翌日が祝日だったことがあり、抗体検査キットを買って明日の朝頃やるのが良かろうと言われる。薬は麻黄附子細辛湯エキスカプセルを処方され、もしコロナであればこのままこの薬を飲んで療養し、インフルだった場合は速やかに救急病院などで特効薬を貰うように(特効薬は発症から48時間以内でないと効果が無くなってしまうため)と指示を受ける。5日に顔を合わせていた母と姉に体調に変わりがないかを訊ねてみると、二人は健康だったので良かった。
昼から薬を飲み療養を始めるが、喉に激痛があり寝っぱなしで身体も痛くなり、夜間に熱は38.8℃まで上昇。このまま寝ている間に熱が上がり続けたら死ぬ――と危機感を感じ、とりあえず冷やしタオルをおでこに乗せるなどして気休めをする。
■1月8日
どうにか生きて朝を迎える。相変わらず寝ていたのかどうかは曖昧。食欲もあまりなく、その辺に置いてあった人形焼を朝食とする。とりあえずまずは抗体検査をする。鼻に棒つっこむの痛すぎワロタ。滂沱状態になりながら検査すると綺麗にコロナの陽性反応が出る。すぐに職場に連絡し、出勤できない旨を伝える。会社の規定で5日間出勤をしないようにと定められていたので、11日まで引きこもり状態に。とりあえず母にコロナ陽性だった旨を伝えると、食料を家の前に置いておいてくれるとの連絡があり、ありがたくお願いすることに。昼過ぎに母の救援物資が到着。レトルト粥や果物の缶詰、わざわざ洗ってヘタまで取ってくれたイチゴなどが入っており母の優しさに無限の感謝。ありがたく粥とイチゴを食べると、ちょっと元気が出てきた。ような気がする。前日の夜は食べようと思ったカップそばが食べられず(喉が痛くて飲み込むのを断念したため)、バニラアイスくらいしか食べられてなかったので、ちゃんと食べた感があった。横になるのも飽きてきてSNSをちょろちょろ見つつ、夕方頃に少しまた寝る。食事を摂ったからかちゃんと眠れた気がする。夕食は昨日断念したカップそば(一日くらいなら保存できるはずと思い器に移して冷蔵庫に入れてあった)をリベンジして平らげる。夜はやはり多少熱が上がるらしいが、さほど苦しくも無く入眠――
■1月9日
快眠そして起床。一度起きて粥とイチゴの残りを食べて、少し気温が上がってから薬を飲んでシャワーを浴びようと思いもうひと眠り。何か違和感があるな……と思ったら最悪なことに生理が来ており(そういやそろそろだった)、別の痛みが生じ始める。薬局に電話をし、貰った薬と普段飲んでる鎮痛剤の飲み合わせが問題ないか問い合わせて、大丈夫とのことで安心して鎮痛剤を飲む。
この日は元々の公休日で、教習所のオンライン講義を見る予定だったので、体調が良い明るい時間のうちにそれらを消化。睡眠をたくさんとっていたおかげでかえって頭は冴えていた気がする。睡眠は神。
■1月10日
発熱はほとんどなくなり、症状は次第に軽くなり始める。残り二回分の教習所のオンライン講義をもうひとつ消化するが、途中で気持ちが悪くなり、この日は一回分で断念。くたびれてその後は昼寝。症状が軽くなってくると相対的に喉がめちゃくちゃ痛いということが浮き彫りになり、あと食べ物の味が全然分からねえということに気付き始める。
■1月11日
発熱から5日経ったので再度抗体検査をするが、まだ陽性反応。当初予定では12日より職場に復帰する予定だったのだが、このまま出ても大丈夫なのか不安になり職場へ相談。結果としてコロナ罹患時には特別休暇が5日分取れるとのことだったので、公休を使って休んでいた分を延長してもう二日休むことに。身体は比較的元気なのでだんだん少し申し訳なくなってくる。まあ人生でこんなに休むことももうないだろうと開き直り、お言葉に甘えることに。教習所のオンライン講義を一通り見終えたが、14日の試験はシフトの調整などもありいけなくなったので、また来月に。予定が大幅に狂った……。
■1月12日
薬が無くなったので、病院に連絡してから来院。感染症の患者なので別室で診察を待つことになり、病院のすみっこでぽつんとしながら一時間ほど待つ。
元々コロナはトータルすると10日間くらいは症状が出ているものだという説明を受け、喉を診てもらうとやはりまだ腫れているらしい。今度は薬を喉の痛み用のものにチェンジ。桔梗湯というお湯で溶いて飲む漢方を持ち帰る。なんかよく分からねえがこの漢方がめちゃくちゃ効く。一回飲んだだけで明らかに痛みが和らいだのである。比較的喉が弱いのでストックしておきたいくらいだ……。
母から二回目の救援物資を頂き、残り二日の備えとする。
■1月13日
多少咳や痰が出ることはあるが、喉の痛みもほぼ治った。これは十分症状軽快と言っていいだろう。朝から元気に家の掃除をして心機一転。そして明日から四日間出勤だ――
以上、約一週間の療養の記録でした――