おもいで話

meiica
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最近は、高校生の頃に仲の良かった人に言われた「理解しようとしなくて良いでしょ」という言葉をよく思い出す。

彼とは読書好き仲間?みたいな関係で、西加奈子が好きという共通点があり、よく喋るようになった。彼と彼の母親は、私によく本を貸してくれる人だった。おかげで、江國香織とか川上未映子とか、好きな作家にたくさん出会った。

その中でも、その後の私に特に影響を与えた作家は山田詠美だったと思う。彼女の本を読んだとき、自分の中に自然に文章が馴染んできたのと同時に、不思議と何かを許されたような感覚があった。自分の中の定規を信じろよ、というメッセージを受け取った。この人の書くことばは、私の生きる指針になっていると思う。

高校3年生の頃、何を思い立ったのか急に受験勉強をやめて浪人しようと決めた私は、とにかくずっと本を読んでいた。純文学というジャンルに分類される本を手に取るようになったのもこの頃だった。

とある、そういう類の本(作家名を忘れてしまった)を読んだ時、内容があまりにも理解できず困惑してしまったことがあった。主人公の心情描写がよく分からない、話の展開や繋がりがわからない、結局何を聞かされていたのかわからない、といったような感じだった。

読みながら、何度もページを戻ったりして繋がりや関係性を見出そうとしたが結局できず、「分からない」という感覚にストレスを感じた記憶がある。

そこで私は読書仲間の彼に、このわからなさと、わからないなりに推測したプロットを結構細かく説明した。その時彼に言われた言葉が、「まー、そんなに理解しようとしなくて良いでしょ」ということだった。

この言葉が当時の私には結構な衝撃で、これを言われた後、わたしは少し落ち込んだ記憶がある。

理解しなくていい?そんなことがあるのか?と思ったと同時に、なんか私ってつまらん人間かもしれん?とも思った。

彼は、論理的であるかどうかにこだわりすぎるな、ということを伝えたかったのかなとも思う。

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久しぶりに彼から近況報告が来た。今は大学を辞めて小説を書いているらしく、母親は相変わらずお酒が好きで毎日を楽しんでいるらしい。日本語として正しいのか分からないが、この親子が幸せじゃないと、私が報われない、みたいな感覚がずっとある。