流れに身を任せる

meishang
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元旦から泣いて落ち込んで、悲しみのドン底にいる。その影響で色々なことが手に付かず、特に子どもと夫には負担を強いてしまっている。ただただ申し訳ない。

あの日からもうすぐ3週間が経つ。皆それぞれあったけれど、それでも生きるために手を尽くしている。「私も」と思いながらも心と身体が泣き別れ状態なのを認めざるを得ないが、底を這っている内に一つだけ分かってきたような気がする。

それは悲しみを懐柔する必要はないのかもしれないということ。

今まで祖父母や友人、大切な人たちを向こうへ何人も見送ってきた。その度に心は引き裂かれて未だに涙が出たりして「私が泣いてばかりいたら向こうで心配させちゃうな、少しでも笑顔を見せなきゃ」とは思ってはいる。いるけども、墓前で100%笑顔でいられるかというと必ずしもそうではなく、率直にいえば難しいときもある。

でも、悲しみってそういうもので良いのかもしれないなと今思い始めている。

起こってしまったことを無理やり無かったことにすることの方が、それこそ無理があるというか。だから私はこの悲しみを受け入れて心に棲まわせることにする。それを引き連れてなのか、あるいは一緒に歩を合わせてなのかはまだ分からないけど、とにかく悲しみを殺すのも追い出すのをやめた。

ただ喪失感を周囲に感じさせずに気丈に振る舞えるのもある種の強さだろうし、それができる人を私は尊敬している。本当はそちらになりたかった。ただ、そもそも思ってること全部顔に出るタイプなのと、見ないふりしようとしたツケで逆に感情の噴出が激化してしまった。ならばせめて周りの被害が最小になる方を選ぼうと思った。まだまだ夫たちには迷惑をかけてしまうけれど…。(ちなみにこの一件で義実家さんでのお正月一家団欒に参加できず、すごく心配をかけてしまった。「ミカちゃんの好きなもの食べて元気出して」と義母さんから蛸の唐揚げとフルーツ大福もらったときは号泣した。本当すみませんでした。食事が喉を通らなかったけど、これは食べられた。涙の味がした)

ちなみにうちの母は弱さを他人に見せないタイプ。私たち娘を守るために弱さを見せず(見せられなかったという見方もできるからある意味そっちはそっちで辛かろう)ずっと戦ってきた人。それもあって泣けない辛さも知っている。ひとつ言うとしたら人の数だけ悲しみとの向き合い方があっていいよね。むしろあって然るべきだということ。

多分2月になって春の気配を感じるようになったら少しはマシになれる気がする。春は好き。春生まれだから。自分が生まれた季節に咲くツツジや芍薬や盛りを過ぎた桜の新緑の香りが大好きで、それを感じると悲しくても「あぁ、季節は巡るんだな」と思えるから。

どうか一日でも早く皆が安心して過ごせる日が来ますように。

@meishang
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