2024/4/24

meme_letter
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「あなたが大学に戻りたいという話をしたときに、何も考えずにいいじゃん!と返したけど、改めて考えるとそうじゃないかもしれないと思った」

「つまり、言いたいことは人生一人で生きていけということなの。推しとか夢中になるものがあると、人生に重みと意味が生まれるし、楽に生きられるけど、それではどんどん自分を失ってしまう。これから自分で何かを生産して、戦っていくの、自分と」

そんな話をされる。共有の友人の結婚式の前夜に「あれから結婚について考え直してみて、改めて結婚について話したいの」と言ってくる友人と結婚の話をしようと思って、仕事帰りに落ち合って焼き鳥屋に来たのに、結局のところ、それは自分の人生の話になるのだった。

この友人は狂っていて、自分を溺愛する恋人との間に波乱を生みたいと言ってわざと喧嘩をけしかけるような人間だ。しかしながら、その狂いの中には妙に理論が立っていて、その上、私は同じ角度で狂っているので、この友人の話に共感しなかったことも、理解できなかったことも、今までないのだ。そして、彼女の十八番が「考え直す」ということで、一度話したことでもひっかかったことがあれば考え直して、自分の考えを改めて発表してくる。考え直された考えはさらに狂いの強度が上がっていて、私は反論できた試しがないのだった。

昨日のランチでも、別の同期の友人から同じような話をされた。その同期は、日々の仕事に対して「自分がいなくても回る」という虚しさを感じている中で、家族の中で大変なことがあった時に行政書士が助けてくれるところを見て、行政書士を目指して勉強を始めたという。行政書士の合格率は10%、試験は年に1回の11月ということで、今年の11月の試験で受かれば、仕事を辞めて行政書士としてどこかの事務所に入るという。彼女は行政書士を目指して勉強をしていることが楽しく、ずっと頭の中にあった「自分って一体何者なのだろう」という問いに応えられるような、自分の人生に意味があることを感じられるという。

この話を聞いた時、彼女は決断したのだと思った。そして、未だ私は決断できていなかった。恩師に会いに行くこと、仕事を辞めることが決断だと思っているのに、なぜか腑に落ちていないのだった。

同期の彼女は言う。「仕事を辞めるというのは収入がなくなるということであり、それはあなたの性格では不安になるのは当然だと思う。だから、仕事を辞めても安心できるような補助金や失業保険の制度を調べることを始めたらいいんじゃないかな」、その通りだと思う。決断できないことには何かしらの理由があり、その理由を見つけて解消して、進めるしかない。

毎日、目まぐるしい仕事の傍らで、このような話を誰かとしていると、さすがに自分の中にある呪いのようなものとも話し始める。それは本人そのひとではない、亡霊のような先生のかたちをしている。