怒られることが苦手だった。他人を失望させて嫌われて離れていってしまうように思えたから。怒られたらその人との関係はお終いだと思っていた。たぶん、子どもの頃から親に怒られることを避けて悪い行いをしてこなったことも影響しているだろう。人生の全てでそのように思っていたわけではないけど、いつもどこか頭の片隅にあったから、私の他人とのコミュニケーションの基本は「人を怒らせないように」だった。
それで他人に気を回しすぎて疲れてしまったこともある。他人からの何気ない一言を必要以上に気にしたり、不快な思いをさせてしまったかと無駄に気に病んでしまうこともある。それでも、その功を奏したのか、幸い他人から嫌われたと感じることは少なく、長く関係が続くことも多かった。不器用な自分が見つけたこのコミュニケーションの仕方で、他人と信頼関係を築いてきた。
しかし、今年に入って、仕事上で怒られることが増えた。正確には、怒られるというより、注意を受ける、指導を受けるという方が正しいけれど。社内の上司から、社外の取引先から。その度に自分の出来の悪さを憎んでは涙を流した。他人からそのような言葉、態度を取られることは、自分にとっては存在の否定に近しく感じていた。頭の中では、自分の否定ではないことはわかっているのに、どうしても繊細すぎる精神が傷ついてしまう。そのような柔な自分の精神も憎んだ。
そのように感じることは、自分に発達障害の傾向があることを念頭に置いて生きてきたことも関係するのだと思う。自分のことを「壊れかけたロボット」だと自認しており、他人と比べて欠けているところ、足りないところを必死に埋めようとして生きてきたから、そのことを人に指摘されると、自分でも直そうと思って生きてきたのに、他人から直っていないことを責められるような気持になり、余計辛く感じるのかもしれない。
しかし、今日あった会社の懇親会の帰り道、上司と話していて、「怒られること」と「信頼関係」の考え方が少し変わった。二次会に行くと終電を逃してしまうという新入社員を駅まで送り届ける流れで、喫煙所に向かう上司一行と合流し、喫煙所がある公園で話し込んでしまった。
今年から上司になった3年上のこの先輩と私は似ている。他人のことを観察することが好きなのだ。だから、二人で話す時はたいてい同じ部署の人たちが話題に上がる。
その夜、上司は後輩たちのことを話した。最近後輩たちを怒ったという話だった。提出物を無くしてしまって、そのことが言えずにずっと隠してきた後輩。仕事が忙しすぎて先輩が話しかけても目を見ずに話してしまったり、冷たい態度をとる後輩。その話を聞いた時に私が思ったことは、私以外の人間も完璧ではないのだという当たり前のことだった。
私はその後輩たちの尊敬できるところを知っている。仕事が丁寧で、たくさん仕事を持っているのに仕事をお願いすると笑顔で引き受けてくれるところ。仕事が素早く、物怖じしないで社外の取引先にも提案できるところ。外から見れば足りないところなどないように思える後輩たちも怒られるところがあるのだ。大学の友人がこの前「働くようになってわかったことは、案外みんな仕事ができないこと」と言っていたこともを思い出した。その友人は完璧主義でも自分にも他人にも厳しいひとだったけど、最近他人にも自分にも優しくなった。その気づきに近いものを自分の中に感じた。
もう一つ、上司が話していたのは、今年の1月に転職してしまった私のOJTのことだった。1年上のこの先輩に私は入社から転職までずっと面倒を見てもらっていたわけだが、私が入社した時からOJTは完璧だった。入社当時、私とOJTの上司だった人が、OJTのことを「2年目とは思えないくらいの働きをするよね」と言っていたことを今でも覚えている。
私の今の上司は、私の入社当時の上司とも、OJTのことも知っているのだが、OJTが入社1年目の時、私の入社当時の上司に厳しく指導されており、ひどく怒られていたというのだ。今の上司から見ても厳しいと感じるくらいのものだったらしい。「それほどまでに怒ることができるということは、二人の間に信頼関係があったからだと思うよ」と上司は言っていた。
その言葉を聞いて、怒られることは最後通牒ではなく、その先に進むための階段なのだと思った。自分と他人の間に信頼があるからこそ他人に怒られるし、他人から言われた言葉を真正面から受け止めて、自分の行動に反映させていくことで、信頼は深まっていく。他人からのマイナスな言葉を恐れて、他人の中に入ることを避ける私とは逆のコミュニケーションの仕方だった。けれど、今はそれが必要な時期だとわかっていた。
上司と話し込んでしまい、二次会には行かずとも結局終電を逃した私は、公園があった東銀座から、自分の住まいがある恵比寿まで歩いて帰った。東銀座は昨年末まで会社があった場所で、街並みが懐かしかった。銀座と築地の間にあり、美味しい魚と伝統ある文化が混ざり合う街。そこからタクシーが行きかう新橋を通り、芝公園で東京タワーの根元を抜けて、外国人が行き交う麻布を横目で見て、静かな広尾の桜並木をずんずん歩き、眠らない街・恵比寿にたどり着くまで、2時間かかった。飲んでも夜遅くでも、一人で自分の足だけで、どこまでに行くことができる自分のまま、他人と新しいコミュニケーションの仕方ができるといいなと思った。