今夜は父と母と蔵前でお寿司を食べた。父が懇意にしているこのお寿司屋さんは今月店を閉めるのだった。先代が初めて35年、今の大将になって35年の70年をキリを店仕舞いをすることになったという。父は最終営業日にまた来るが、私と母はここの大将が握るお寿司を食べるのは最後になる。このお寿司屋さんでは、しらすや桜海老のお通しから始まり、鯛や鰹の刺身が続き、豊洲市場から仕入れた漬物で箸休めしたら、いよいよ握りが始める。イカからエビといった淡泊なネタから、鮪や雲丹のようなしっかりとしたネタになり、小肌の酢締めや煮蛤、焼穴子のようなひと手間加えたネタで締める。最後の方に出てくる煮蛤はこのお寿司屋さんの名物で、噛めば噛むほど甘い煮汁と貝の海のエキスがにじみ出てきて、他では食べられてない味なのだ。この煮蛤を食べていると、いよいよここの大将のお寿司を食べることは最後なのだと思って、母と二人でしょんぼりとしてしまった。私たちの他にも何人か馴染みのお客がいて、父の隣に座っていた方は、1995年からこのお寿司屋さんに通い始めて、もう29年だという。後から来た「先生」と皆から呼ばれる精神科医も馴染みのお客で、大将と父と4人で、あの時食べた小肌は最高だった、当初は煮イカを出していたが、今はもうやめてしまったなどと、ネタの変遷の話に花を咲かせいた。過去には、今は亡き馴染みのお客は入院した時にも、ここの寿司を食べたいとせがんだこともあるという。この店に降り積もり重なってきた時間によって生まれた記憶と歴史に思いを馳せる夜だった。