2024/4/23

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今日は7時に起きる。昨日話したドイツの友人が「毎日恩師の講演の音声聴いている」という話に対抗して、夢うつつの中で恩師の講演を聞いて、少し魘される。7時半から仕事をはじめて、9時半に家を出て取引先に向かい、先方と現状の課題を共有して、12時には別の取引先とランチをする。13時半に会社に戻り、上司に取引先の話を共有して、新卒に研修をして、17時。隣の席に座っていた私と同じKinKi Kidsファンの先輩に「今日、SHOCK観に行くんですよ」と話して、「早く行きなよ!!」と背中を押されて、17時半、帝国劇場に着く。そして、18時。今夜も舞台の幕が開ける。

今夜は「Endless SHOCK Eternal」を観劇した。2000年から今まで25年間上映されている、今年を最後に終演してしまうこの舞台を初めて観に行ったのはおそらく大学2年生の冬ではなかったか。それから7年ほど経つが、毎年1回は必ず劇場に足を運んでいるため、もう何度か見ている舞台だ。それでも、飽きることなく、いつだってこの舞台に夢中になり、魅了されてきた。

光が輝きを増せば増すほど、その分、闇は濃く深くなっていく。光と闇のコントラストが限界に達した時、闇が光を飲み込んでしまう。闇の中にいる人々は光輝く過去に戻りたいと願う。しかし、この闇を生み出したのもまた、今は失われてしまった光であるという歪み。闇の中で、各々が光を追憶しながら再来を願い、その願いがまた限界に達して、光輝く過去が幻として蘇る。その現在を抱きしめて、人々は闇から抜け出し、自らが光となって進んでいく。この舞台はそのような話だ。

輝きが強すぎるあまり深い闇を併せ持つ「光」こそが、堂本光一が演じるコウイチである。この舞台は基本的に演者の本名で役名が付けられ、また、演者自身と役の距離が限りなく近く、一体化する。つまり、演者本人の性格や特徴がそのまま役柄に表れることもある。

その中で、コウイチを演じる光一はまさに「輝きが強すぎるあまり深い闇を併せ持つ光」であった。光一の存在が、この舞台に命を吹き込み、演者たちを一体化させる要となり、一つの美しい作品が顕れていた。その美しさは伝統工芸に近いものがある。完全で無限ということがない不完全で有限な存在である人間が極限まで突き詰めることで生まれる人間を超えたもの。

私はこのようなものに惹かれる傾向が強く、このようなものに出逢うために生きているし、このようなものを生み出すことに携わることが生の目的だと思う。このようなものに出逢うとき、私は自分の魂の存在を強く感じる。身体でも精神でもない、私が一番信頼する感受体。この舞台が今年以降、この生で二度と観ることができないことは、本当に寂しいことだ。