1年目からお世話になっていたOJTの先輩の最終出社日の翌日である今日、1年目かと思うくらい久々に仕事で人前で泣いた。
仕事で至らない点があり、その部分と上長に一対一で指摘(というほど厳しいものでもない)されていた時だった。
涙が溢れ始めて、徐々にそれは酷くなり、嗚咽が止まらなくて、息が上手くできなくなりそうになった時、ああ疲れているんだな自分は、と他人のように思った。号泣という状態に対して、内心はその感想だけだった。
積み重なる仕事、アイドルの結婚、寝不足、様々なことによって膨らんだパニックという風船が、上長の言葉という細い一本の針によって、弾け飛んだだけのことだった。つまり、上長の言葉は最後の一押しに過ぎず、それによって自分の中で抱えていたものが許容範囲を超えてしまって、それが涙として現れただけだった。
だから、上長に「自分のことを卑下したり、責めたりする必要はない」と言われた時にも、「そんなことは思ってない」と思いつつ、私のことをよく理解しているひとだと思った。1年目の私は泣きながらまさに自分の否定をしていたからだ。
「そんなことは思ってない」の先には、「自分はできるし、これからもっとできるようになる」という自信が続いたことも、1年目からの変貌を感じた。その変貌を成したのは、今まで私が頭と手を動かしてやってきた仕事と、それを見て指導してくれた上司、先輩方のおかげだった。
だから、上司にも「これからも気になるところや、間違っているところがあったら、厳しくてもいいので言ってください」とすぐに言った。上司の言葉は、自分の否定ではなく、自分の伸び代であることが理解できる。そして、自分はその伸び代が必ず伸ばすことができると自信があるからだ。
この自分への自信と、他人への信頼を、文字通り身につけるために、私は仕事をしてきたのかもしれない。大学を卒業してから、大学院に行かずに。大学卒業時には、どちらも身についていなかった。
この身につけたものを、一度きりの私の人生を、どのように生かすか、私が決める時が来ている。