たぶんまた泣く

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ずっと昔に飲み込んだつもりの苦しい過去を無為に掘り返してしまって、頭が痛くなるほど泣く時がある。今とか。どうしていつまでも、傷つかずに済んだ未来のことを諦められないんだろう。もう細胞は大人なのに、心だけ追いつかなくて、ずっと引きずられるように生きてる。

みんなにもみんなだけの地獄があって、相応に苦しんでいて、それでもなんとか溜飲を下して、諦めて、まともな顔をして立っているであろうことが、とてもとても信じられない。信号待ちをしている間、たまたま隣に立った同年代の人間がまともな人の姿をしていることに、途方に暮れるような気持ちになることもある。傷つくことを避けて歩くことだけが変に上手かったせいで、強い大人になり損ねてしまった。みんなが軽々飛び降りていく段差で骨を折るんじゃないかって、動けないでいるくせに、さも敢えてそうしているのです、というように澄ました顔をしてしまう。ださい。

自分の人生がこうもかっこわるいこと、自分の過去に思い出して立ち止まるほどの不幸があったこと、きっと無関係じゃないだろうな。自己愛の強さから来る開き直りなんかじゃなくて、本当にこれはそう思う。思ったところで、目の前には、私を真に幸せにしてくれる人間なんて私以外にいないという事実しか残ってないのですが。

自分の過去を振り返って泣く時、なんでこんなに苦しいんだろう。いつか私が誰かのお墓の前で泣くとき、感じるのは同じ種類の苦しみなんだろうと想像している。意味の無い問いと後悔ばかりが溢れて、もう全部過去だと分かっているから苦しいのに、そういう過去が確かにあったことを認めて諦めることができない。ままならない。とっくの昔に死んだ私を諦められない。自分の死体の前で、どうして、どうしてと泣いている。地縛霊のよう。生きているから苦しいのに。さっさと消えておくれと塩を撒きたい気持ちでいっぱいなのに、結局悼んで、抱きしめている。

何度も懲りずに自分の傷を直視して、痛みを鮮度の良いまま思い出して泣けるほど、私は私を愛していて、世界から愛されるべきだと思っているんだなと実感してしまうときの、虚しさったらない。

どうして自分を愛していると思うことに罪悪感があるんだろう。私は一体誰のために生きてるつもりなんだろう。とか考えていたら、いつのまにか朝が来ているから怖い。誰にも会わないのに顔を洗う。澄まし顔をしていたくなる。