フェミニストと名乗るに当たり

信号街
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【はじめに】

 この文章はフェミニズムをよく知らない人間が書いている(関連書籍一冊だけ読んだ。浅学で情けない)。ただフェミニストの人々にどんな声がかけられているのかはなんとなく知っている(ただフェミニストに対してではなくいわゆる「ツイフェミ」と呼ばれる人たちかもしれないが、私にはわからない)。

 端から見ている印象として、フェミニストと名乗ることはとんでもなくハードルが高く感じる。というのは、外野からの風当たりがあまりにも強いからだ(少なくともそう見える)。

 なら名乗る必要はないではないか、と読んだ方は思うかもしれないが、こういうものは結局は行動と発言に現れ、カミングアウトの有無を問わず外野がレッテルをつけてくる。当事者視点に立ったとき、周りから目をつけられないために「なんちゃって!」と言ったり「考えすぎだよね〜あはは」と笑うことができるのか? なんか普通に嫌じゃね?  

 そう考えると、迷っていようが考えに賛同したらもう戻れない気がするが、このハードルの高さはかなり怖いのだ。もしフェミニストと一度名乗ったら、私はこの思想と心中しなければならないのか? という怖さだ。現状、おそらく私は一貫して女性の権利を叫ぶことはできない。現状、私はフェミニストと自認していない。

 そもそもある主義を名乗ったら社会のすべてを見渡さなければならないという義務を押し付けられるように感じているのだが、本当にそうなのか。また、その義務を誰かにぶつける人は、なんらかの立場から社会を見渡せているのか。他人に対して強いるにはあまりにも無茶ではないのか。

 これからもさまざまなことを学ぶ。学ぶなかで、知ることでこうした恐怖は克服できるのかもしれない。そもそもこの恐怖や下に述べる憶測はかなり的外れなのかもしれない。ひとまず現状はかなり怖い。恐怖を書き留めておく。

【知りたいこと】

※以下は例え話を交えている。「私」や人物は特定の誰かを指さない。私でもない。

・私は女性でありフェミニストである。私より危機的状況にある少年(声が届く程度の間柄)がいた、私は自分の女性としての権利よりも先に、彼の権利を叫ぶべきだと感じた。これは許されるのか。

・私はフェミニストである。ある女性(面識はない)が凄惨な仕打ちを受けた。しかしこれについてなんらかの発言をしなかった。これは許されるのか。このとき発言をしなかった理由は問わない。(「〇〇の事件があったがフェミニストたちはなんの声も上げなかった。彼女たちは偽善者だ。フェミニストは信用ならない」という言説は適切だろうか。個人として受け止めなければならないのか。)

・私はフェミニストである。ある女性(面識はない)がなんらかの権利を叫んだ。しかし詳細を調べるとおそらく女性の対応が適切でなく起こった問題のようだ。このとき女性に賛同しないことは許されるのか。(「女性が権利を認めさせようと叫んている。フェミニストのくせに賛同しないのか」「あんな女の存在を許すフェミニストは頭がおかしい」という言説は適切だろうか。個人として受け止めなければならないのか)

@mennngennn
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