消費という行為、ある事柄(消費されるもの)を自分のフィールドに持ってきたとき、つまり創作に取り入れた瞬間から生じるように感じる 起こった消費行為に対して釣り合いの取れる向き合い方をしているかみたいなところで天秤にかけるしかないのか、いやもっといい方法や捉え方ないのかなと悩む。創作者としては創作に持ってきた瞬間から生じ、顧客としてはそれを鑑賞した瞬間から生じるように思える 反戦を歌や詩をはじめとする創作物にすることは消費の上塗りではないかと感じる一方で創作物となることで目に触れやすくなる、心に響く効果には意義を感じている
当事者(実在の出来事についてと明言した創作物を投稿する人々)のいない会話なのであれだが、友人にこのこと話したら「その人がその問題について言葉にしたら詩になったんじゃないかな」とも言ってて興味深かった
コンテンツ(便宜上の呼称)に付随する創作物創作ジャンルへの理解を深めることをきっかけに社会問題に触れていく流れは、きっかけとしては良いもののように感じる。ただ創作物と社会問題が完全に表裏とは限らず、その点を把握しないまま「知るべき」としてしまうのはたしかに強引に見える
(社会のことと創作物との関係性、そりゃ調べれば理解できることではあるけれど顧客全員に求めるのは酷だろ…と思う ただコンテンツ制作側には自覚的であって欲しいし、そのあたりの情報フォローをそれとなくしたほうが良くないかと思う 社会問題のエッセンスを取り入れたなら)
ゴールデンカムイの批評で『この作品を鑑賞することをゴールとしないで(この場合「これだけですべてを知ったと思わないで」の意)、あと一歩先まで踏み込んで欲しい そのきっかけになればよいと思う』といった主旨の文があり、雑な分類してしまうがヒプノシスマイクもその位置なのかもな…と。本当に雑な物言いですいません つまり多かれ少なかれ実在する文化・社会問題が娯楽としての消費される構図ではあることには変わりないが、入り口という役割は大きいのかもな……と思いました。
【二次創作CP】
多分二次創作カップリングはムーブメントとしてはどんどん開かれていくのだろうけれど私のなかではどんどん隠匿すべき方向へ向かっている
キャラクターが人生の最初期で搾取されステージ上でも消費されることにフォーカスがあったっている版権でそれを意識しないわけにはいかなかった 彼ら彼女らを憐れみ尊ぶほど私は彼らを消費している
消費する行為はすべて汚らしい側面を持つがそれをせずに生きていくことはできない…し、その消費のなかに美を見出している……つら…………でよく病む 嘘 病んでない 私は悪いと思ってないけど社会的には悪い行為だからいずれ刺されるんだろうなと思っている。うーん「性的消費は誰しもがしてしまう」という前提で「容認できる性的消費」とそうでないものの差ってなに?を考えたほうが建設的なのかなとか近頃思う ダメか
【わからん】
積極的に声を上げることと行き過ぎた思考にのめり込み戻れなくなることの区別がつく気がしなくて怖い だったら触れないままのほうが無難じゃん 私いまの生活に困ってないし、というおそらく良くない結論に至る 良くないことはわかる。これが恵まれた人間の傲慢さだということもわかる
「消費」と「社会問題(誤解を恐れずに言うと、その中でも特に自分が当事者よりも遠いところにある事柄)」との関わりかたがわからない わからないことがいけないのは理解するが、わからないと発することも許されないように感じて今まで言えなかった