無音と久遠

meol
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昨日、無音と久遠って響きが似てるなと思って、連想したこと。

昔、天風先生(中村天風)の本を読んでたら、「absolutely stillness」という言葉が出てきた。

absolutely stillness。

絶対の静寂(しじま)。

絶対の静寂に触れると、ものごとはあるべき形に整っていく(自然治癒が起こる)らしい。

天風先生は確かインドで修行中で、師に言われて何日も何日も山で坐禅して、天の声、地の声を聴けるようになったあと、絶対の静寂に達したという(確か。うろおぼえ)。

生命というのは停止していることがないから、地球上のどんな場所でも、stillness、とか完全な無音というのはないはず。

でも、この世の全存在の底に「絶対の静寂」があることは、なんとなく感覚的にわかる気がする。

無我夢中の時、何かに没頭した時。

特別な人を見初めた時。

すべての時が止まるような無音の経験、多分誰にでもあるんじゃないかな。

葉が芽吹いて、蕾がつき、花開いて、散り始める。息が吸い込まれ、吐き出される。眠りは覚めるし、また眠りにつく。どんな子どもも少しずつ老いていく。

自然も人間も社会も、刻々、刻々と変化しつづけて、とどまることはない。

常に常にすべてが移り変わっていく、万華鏡みたいなこの現世(うつしよ)で、一瞬、久遠が垣間見えることがある。

それが絶対の静寂、なんじゃないかな〜。

般若心経の空、みたいなこと。

増えたり減ったりしない。

汚いも清らかもない。

生じたり無くなったりしない。

私はいない。

そういうところ。