去年の夏ごろ、いつもの朝の散歩中、誰もいない広い野原にさしかかったあたりで雨が降りはじめた。
細かい雨。
細かいんだけど勢いはどんどん増して、髪が濡れていく。もちろん傘はもっていないし、急いで帰れる場所でもない。
野原の端っこに、桜の木と合歓(ねむ)の木が絡まるように2本一緒に立っていて、あの下で雨宿りしようと走った。
走るなんて久々で、ほんのちょっとの距離なのに息が上がる。
桜も合歓もかなり大木。張り出した枝に夏の葉が茂っていて、下に入ってみると雨がほとんど落ちてこない。
しめった土の匂いが濃い。
樹下って優しいんだな、みたいなことをぼんやり思いながら、木の傍で野原に降る雨を眺める。
銀色の空からおちてくる、細かくて、静かな線。
しばらくしてふと気づいた。
音がしない。
散歩中いつも360°から柔らかく響いている種々雑多な自然音がない。鳥の声、風のざわめき、草の葉ずれ。全然ない。
静まりかえっている。
音が雨に吸い込まれてるんだ。
真空みたいな空間で、銀の雨が野原に降っている。
しずかな、で思い出す光景。
夏の朝、銀の雨、無音の野原。
それと
樹の下で野原に降る雨を眺めている間、一瞬、からだの外も中もなくなって、何かが流れ込んできた。とても微細で静かな粒子のようなもの。
一瞬だけ、桜と合歓に自分を明け渡したんだと思う。
樹ってこういう意識なのか、と知った。
人間の自我とは違う質の、静謐な感覚だった。
どうでもいいけど、無音と久遠って似てるな。