ビクトル・エリセ監督『ミツバチのささやき(1973)』を特別上映で見た感想です。2024年4月6日鑑賞。
『フランケンシュタイン』の映画を見たアナは、姉のイザベルから「映画の怪物は本当は精霊で、街のはずれに住んでいる。お友達になれば、目を閉じて呼びかければいつでもお話しできる」と言われて信じてしまう。スクリーンをまっすぐ見つめる目や、ベッドでイザベルに精霊の話をせがむアナの無垢な表情が印象的。アナがまだ幼い子どもだからこそではあるけれど、素晴らしい映画を見た時の自分の気持ちと重なるような気もして、私は本作を「映画についての映画」だと思った。眠そうなイザベルに対して目をまんまるに開いたままのアナが一生懸命問いかけるところとか、レイトショーから帰ってきてクタクタなのに眠れずに頭はずっと映画の世界のことを考えている深夜…みたいな気持ちを思い出す。
ラストで医師は「アナはまだ子どもだ。じきに元に戻る」と言う。でも私はむしろ、アナはきっと大人になってもいつまでも、時々目を閉じて精霊に呼びかけるんじゃないかなと思った。精霊が実在しないことを理解するようになっても。心のどこかに好きな映画の居場所があって、時々それを思い出したり、映画の世界に心を飛ばすように。
現実と空想の境目がなくなる少女、かつ同じスペインが舞台の作品として『パンズ・ラビリンス』を思い出した。家族や国が揺らいでいることを子供ながらに感じ取ったアナは空想で自分を支えていたのかもしれない。夜の森で本当にフランケンシュタインの怪物に出会ってしまうシーンは少し恐ろしいけれど同時に美しくて、アナの中の孤独が埋まるような気配も私は感じた。精霊に呼びかける言葉が相手の名前ではなく「私はアナよ」なのも象徴的。
1940年のスペインの荒涼とした土地が舞台で、どのシーンを切り取ってももの寂しい美しさがあった。自然も街も室内も、人物の表情のアップも。特に蜂の巣のように六角形の模様が並んだ窓が映るショットが素敵だった。
フランコ政権下のスペインの暗喩が散りばめられている、という話は事前に沢山読んだので、特にアナの両親の描写などは「そういうことなんだ」と思いながら見た。事前情報がなかったらどう感じてただろう…とちょっと惜しい気持ちもある。
母親が手紙を送っている相手は明言されないけど、私は出兵して生死不明の息子宛の手紙なのかなと思った。終盤、父親が遺体の顔を確認して首を横に振るのも「うちの息子ではない」ってことかな?と。息子はまだ戻って来ないが生きている可能性も残り続ける…というシーンとして、私は勝手に受け取った。アナにとっては精霊が実在するというのと、ちょっとだけ通じるものがあるような気がする。
🍏