現在、私は二足の草鞋を履いて生活している
現在、
システムエンジニア
脚本家
たまに
カメラマン(ビデオ or 写真)
をしている。
通常時は二足のわらじ。たまに依頼があってそんな大変そうなものでなければ三足目、というか気持ち的には二.五足のつもりでやっている。
一つずつ、説明していこうと思う。
システムエンジニア
iOSメインでたまにAndroidやFlutterを書くアプリエンジニア。常駐の業務委託。
30歳手前で始めて、10年目を超えた。今の生活の基盤。知人から誘われて。ほぼ初心者。(高校でCOBOLやってたけど一度もキーボードでCOBOLを打った事はない)
全然技術力ないけど、それまでに培ってきたコミュニケーション力だけでやれていると自負している。
脚本家
一応、TVや配信サービスでクレジットに出るくらいの脚本家。
「家」と付けるのがまだ申し訳ない感じ。
第二の生活基盤。大学は映像系の学部で、映画監督&脚本家を目指して20代を突っ走ったが、鳴かず飛ばずで、借金たまって、不安もたまって、もう地元に帰るか……というところでシステムエンジニアの仕事で拾ってもらい、生活を立て直し、シナリオ系のセミナーに通い、そこで出会ったコネで今に至る。30代後半でのデビュー。
こちらも技術力はないけど(いや、だめだろ)、それまでに培ってきたコミュニケーション力だけでやれていると自負している。(2度目)
ただ、まだ部類としては新人なので全然安定してないが、たまに二次使用料とか入るのでありがたいし、元々やりたかった仕事なので続けられたらいいなと思っている。
カメラマン(ビデオ or 写真)
学生時代に「ビデオカメラの勉強しつつお金もらえるなら」とバイトにしては割りがいいので、バイト感覚でブライダルビデオカメラマンを始めたのがきっかけ。(その職場に一目惚れした大学の一個上の先輩がいたのが理由の半分)
技術が上がれば単価も上げてもらえたので、そのまま20代の生活の基盤になる。(ただ、件数が春と秋は多く、夏と冬は少ないので安定はあまりしない。)
ブライダルは基本的に土日祝日の仕事。平日の撮影素材編集の仕事も少しやったけど性に合わず数本やって終了。ただ、カメラワークを学んだおかげで、コネで単発の撮影・編集の仕事(アート作品やイベント)もいただけるようになる。
20代から30代の間に「デジタル一眼レフカメラで動画が撮れる」という映像業界のパラダイムシフトが起こり、その流れでコンサートやイベントでの写真のみの撮影も行うようになる。
まとめ
現在は、平日昼にエンジニア、平日夜と休日に脚本家という感じ。カメラマンは知人を通じて依頼があって、スケジュール的に大丈夫で、そんな高度なレベルを求められる撮影でなければ受ける程度に留めている。
今年で41歳になる。良くここまで一般的な就職活動もせずに生きてこられたなと思う。地方出身者で、結婚もして、子供もできて、都内のギリ外側で中古マンションも買えた。
ただ、思い出すと、色々あって、特に親には20代は散々な苦労をかけてしまった。なので偉くもなんともなく、カッコ良くもない。
初投稿の感想
ものすごく書きやすい。けど、書いてるうちに思い入れとか自意識とか出てきて、それを抜くのがちょっと苦労。でも、なんか書き心地がいい。
これからもちょっと整理したい事を書いていこうと思う。