13年前の3月11日

mercy
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今日は3月11日。東日本大震災から13年が経った。この13年間、色々あったなと思う。

13年前の3月11日何をしていたか

当時は、神奈川から都内に引っ越していて、撮影の仕事やバイトをしながら自主映画を作っていた。知り合いの繋がりでWebラジオ(ポッドキャストなんて言葉が出始める前)なんかも始めたりして、都内の私の家で収録を終えて、Webラジオの仲間たちと近所の町中華で遅めの昼飯をとっていた。

そこで地震が来た。

あまりの揺れに一瞬「あ、今日死ぬのかもしれない」と思った。地震が収まり、町中華のあった商店街は騒然としてた。最寄りの駅の電車は止まり、何かのアラームがずっと鳴り響いていた。

電車に乗れなかった仲間は私の家で待機をすることになった。テレビでは津波のリアルタイムの映像が流れている。夕方近くになり、もう今日は電車は動かないだろうと待機していた仲間は歩いて帰る事になった。それを途中まで見送ったが、電車に乗れなかった人々で道路は溢れていた。帰宅難民だ。

直接的に自分に被害はなかったが、そこから数日間、数ヶ月は気持ちが落ち着かなかった。

3月11日の数日前の話

実はその数日前、学生時代の友人を亡くした。自死だった。

学生時代からよくつるんで遊んだり、それぞれの作品作りについてあーだこーだ意見を出しあったり、喧嘩もしたりした。親友、だったと思う。

3月11日が毎年くると、地震の事とセットで彼の事を思い出す。

もし、もう少し彼が生きていて、地震を体験していたら、何か変わったんじゃないだろうか、思い止まったんじゃないかと。

それはもう分からない。時間は戻らないし、もしも、もしもはキリがない。

ずっと忘れないだろう。

13年間とこの先

13年間で自分も自分の周りも大分変わった。映像の仕事を離れ、エンジニアになって、再び映像を始めようと脚本家にもなって、結婚して、子供ができて。。。

13年間は長かった。そしてこの先いつまで自分が生きているか分からないが、命が続く限りは何かしらの変化はあるだろう。怖くもあり、楽しみでもあり。

私が好きな爆笑問題・太田さんの言葉「未来はいつも面白い」って言葉は希望に満ち溢れていて本当にいい。

ここまで生きてくれば、たぶん面白いことばかりじゃないのは分かっている。でも、そうあって欲しいという思い、何か問題に直面した時に、少しでも面白い方へ転んでくれればいいなと思うし、選択したいと思う。

独身時代みたいに好き勝手できるわけではないが、家族を守った上で、面白い方を選択していけたらいいなと思う。

@mercy
二足のわらじ、たまに三足いや二.五足