脚本家は、ほぼみんな脚本家志望の時期があったと思う。一部、芸能人とか監督からとか、放送作家からなられた方もいると思うが、それを除いては脚本家になりたい!がスタートだったのではないかと思う。
脚本家を志すきっかけ
自分は映画監督志望からスタートしている。もっと前から言うとCGデザイナー。CGでアニメを作りたいと思っていたら、大学の実写映画の実習の授業があり、実写の方が、モデリングやらアニメーション付けやらいらず、簡単に人を動かしてすぐに物語を映像化できる事を体感して、そちらへ傾倒していった。
自分の理想では、PFFやゆうばりファンタなどで賞を取ってスカラシップで商業デビュー!が夢だったが、そんな宝くじに当たるような運も、天才的や奇才的な実力もなく、20代はブライダルビデオカメラマンをやりながら、自主映画を作っていた。でも、夢は叶わなかった。ただ、自主映画の企画作りをしていく中で、脚本を考えるだけなら、パソコン一台で作れて、コンテストにも出せて、自主映画のように借金だけ作って終わるような事もないという事がわかり、脚本家になろうと思うようになる。大学の友人は就職がほとんどで、就職せずに夢を目指していた友人は諦めて地元に帰ったり、就職したり、続けたりして……自分もその一人だった。ただ、徐々に社会的に居ずらい空気を感じていた。それでも、フリーターみたいな生活をしながら、シナリオセンターにも通い、研修科まで終えて卒業した。色々な映画やドラマも見て、勉強はしてした。
中々結果が出ない
そこからも引き続き泣かず飛ばずだった。フジテレビヤングシナリオ大賞、テレビ朝日21世紀シナリオ大賞、NHK創作テレビドラマ大賞などなど、とりあえず賞金が高そうな、受賞後もコンスタントに仕事ができそうな賞に出すが、頑張っても一次か二次通過止まり。コンテスト以外でもコネ経由で、深夜ドラマの企画の手伝いをしたりしたが、結局実力及ばずデビューせずに終わった。そうしているうちに20代が終わろうとしていた。最後に、と大学の後輩と自主制作映画を作ったが、まぁ静かに、YouTube公開して終わったしまった。
地元に帰るか、東京に残るか
親からは、地元に帰ってきて就職でもしたら?と良くある提案もあり、一瞬そっちも考えたりした。周りにもそういう人はたくさんいたし。でも、それがカッコ悪いと思っている自分もいて……志半ばで実家帰るなんて悔しい。かといって不安はどんどん積み上がって、どうにもできなくて泣いたり、悩んだりした夜は多々あった。夢を目指して、叶わぬまま、年老いていく自分を想像して震えた夜もあった。
そして、諦める事を決断した。
母親に泣いて電話した。「わかった、俺、もう夢諦めるわ。地元に帰るよ」と。もういい加減に親にも迷惑・心配かけられないし、正直自分もしんどいと、一旦そこまで決断した。
でも、泣いて電話をした翌朝、母親から逆に電話がった。
「あんたがそんなにやりたい気持ちはわかった。やりたいんだったらとことんやったらいい。ただ、もう親は何も助けられないから。そこは自分でなんとかしなさい」と。
恥ずかしながら、就職した大学同期がちゃんとお金を稼いで自立している頃、20代後半までバイトに毛が生えた程度の収入しかなかった私は、親に困った時にお世話になった時がまぁまぁあった。本当に恥ずかしいことだ。今振り返っても思う。側からみたら、甘い親だと思われるかもしれない。でも、そう言われて、初めて、もう自分一人でなんとかするしかないんだなと思った。そうやって電話してくれた母親には本当に感謝している。
生活の立て直し、借金返済
そこから、知り合いの紹介でフリーランスで業務委託の常駐エンジニアになった。最初は研修期間のようなものでエンジニア収入も少なく、土日もブライダルビデオカメラマンで休みなく働いていた。ただ、固定である程度収入があるというのが本当に精神的にもありがたかった。ブライダルは季節ごとに収入が変動し、安定していなかったので。
中には「脚本家目指すの諦めたんだ。割りのいいIT業界に転職かぁ〜(笑)」なんて馬鹿にしてくる人もいた。でも、彼らに言い返しても聞いてもらえないし、やるかやらないかはこっちの決意次第だろ、と黙っていた。
エンジニアはエンジニアで勉強することも多く、大変ではあったが、一年後に収入も上がり、ブライダルカメラマンを卒業するまでになった。そして、生活も立て直し、2年後に借金も完済できた。
なんで今自分はここにいるのかと考えた
とはいえ、生活を立て直し、借金を返済し、なんかエンジニアっていいな。ものづくりだし、それでお金いただけて、生活できて・・・いいじゃん。と思っている自分もいた。でも、このままで終わることは自分の中では許せなかった。だって、安定した収入を得られて生活していくなら実家に帰って就職するのと一緒だ。自分がわざわざ東京に残ってそれをやっている意味、それは脚本家になりたいからだ、と気持ちを維持させた。
再びお金を脚本勉強に費やす
そして再び、一旦休んでいた脚本家志望に戻る。エンジニアを続けながら。シナリオセンターの短期講座に通ったり、別の映画学校の短期のシナリオセミナーに通ったり、色々と仕事で稼いだお金を費やした。一人で地道にコンテストを目指す事も考えたが、ライバルや仲間の存在を感じた方が、気持ちの弱い自分にはいい栄養になると。映画を見たり、脚本に関する本を買った読んだり。面白い、詰まらない映画など引っかかった映画を片っ端から箱書きに起こしたり、シナリオ書き写したり、シナリオに起こしたり。(今も時間があればやっている)
そうしているうちに、とあるシナリオセミナーでアニメの制作スタッフの方と知り合った。その方と、好きな映画の話などをしているうちに「今度うちの制作会社の社長と飯でも行きませんか?」とお話しをいただけた。
その食事の機会をきっかけに、色々な企画(ほぼ成立しなかったけど)をお手伝いをするようになり、とあるアニメの企画があるんですが良かったら1話だけやってみませんか?とお話しをいただくことになった。
アニメだろうがなんだろうがとりあえずデビューがしたかった
自分の理想で言ったら、実写のドラマや映画だったけど、もう、その時はスタッフロールに脚本で名前が出るなら、漫画でもゲームでもアニメでもなんでもいいからやります!となっていた。意地だ。40歳になる前に!
そのアニメ企画のお誘いを頂き、それがデビュー作となった。そして、1話書いた後に、じゃあもう1話やりません?もう1話やりません?が続き、リライト、リライトを繰り返して、なんとか要望に応えられるようにして、気がつけば12話中4話を担当させていただいた。本当に喰らいつくのに必死だった。
親には本当に感謝していたので、ローカル放送だったが録画したBlu-rayを送った。「見たよ!あんたの名前出てたね!」と言われて、本当に嬉しかった。感無量だった。今までの辛さがすべて吹き飛んだ。親も安心してくれたんだと思う。(後々、アニメだけじゃなくドラマとかやらないの?って言われてムッとしたこともあったけど)
同期の反応は様々
人の評価なんて気にしない!承認欲求?それ食えるの?っていうメンタルの人間ではないので、当然、友人、大学やシナリオ学校時代の同期の反応は気になった。
「ついにデビューしたの!?おめでとう!!」という人もいれば「アニメ?原作モノ?脚本家って何するの?」という人もいた。知らないからこその反応だと思う。自分のかつての理想で言ったら、実写ドラマ、映画などのオリジナル企画でデビューしたい!という思いははあったりした。でも、デビュー作なんて、なんだっていいと開き直っていた。新人でオリジナル書かせてもらえる人なんて一握りだし、実写の脚本家がアニメの脚本をやることもあるし、アニメの脚本家が実写ドラマや実写映画の脚本をやることだってある。脚本家は脚本家だ。個人の特性だってある。自分が書いた脚本が映像化されるだけで幸せな事だと今だからこそ思える。そしてやっていると、自分の脚本家キャリアうんぬんより、まず目の前にある企画をどう成立させるかに注力するので、そんな余計な事を考えている余裕はない(笑)
大切なのは絶えず仕事をいただけること
以前、ある映画監督が言っていたが「映画監督とは職業ではなく行為」だと言っていた。その作業を続けていくことだと。脚本家もそうだと思う。書き続けて、それが世に出れば脚本家なのだと。今、自分がやっている事は原作モノが中心ではあるが、小さな企画ではオリジナルのアニメ脚本を書かせていただけている。オリジナルだろうが、原作モノだろうが、まず続けていくことが大切。やっていく上でアニメが得意なのかもしれないと思うかもしてないし、もしかしたら実写の脚本を書く機会もあるかもしれない。
自分の中でのハードルを下げたというよりは、どっちが上でどっちが下とかではなく、「広げた」と思っている。
そして、脚本を書いて、お金をいただけることに喜びを感じている。
脚本家志望同士で語らった夜
ふと思い出す。その昔、脚本家志望同士数名で飲んだ夜。自分がどんな脚本家になりたいかを話していた。ある人は、クドカンみたいな面白い作品を作りたい。ある人は、三谷幸喜みたいな脚本家になりたい。ある人は、重厚なオリジナルストーリーの脚本を書きたい等々。
自分ももちろんクドカンさんとか三谷幸喜さんには憧れてた。でも、自分はちょっと違う回答をして、みんなにポカンとされた。
スケジュールがタイトでトラブってて、誰でもいいから70点の脚本あげられるやついない?って所に入って、なんとかそれを成立させて、おまえいてくれて助かったわ〜、次もなんかトラブったらよろしく!って言われる脚本家になりたい、と。
オリジナル書きたくないの?って言われたが、もちろん書けたら嬉しいかもしれないけど、特に訴えたい事もあまりないし、思想ないからね、俺。どんなジャンルでも70点以上目指せる脚本家がいいと。
もちろん、夢はあっていいと思う。あの人になりたい!と思う。一世代上で言うと、山田太一さんや向田邦子さん、市川森一さん、倉本聰さんと、名前だけで作品が売れちゃうような。
でも、僕らの世代には、クドカンさんはもうクドカンさんがいるし、三谷幸喜さんはいるし、坂元裕二さん、岡田惠和さん、中園ミホさん、野木亜希子さん、ヨーロッパ企画の上田さんもいるし、そこ目指したってかないっこない、と思っている。そして、脚本業界ってその人たちだけで回っているわけではない。じゃない人の方が大多数で、そういう人でもちゃんと書き続けているし、ちゃんとプロとして成立している。
書いてくうちに個性なんてものは出る時は出るし、自分がやりたい事と、向き不向きってまた違ったりするし。
でもまぁ、生方美久さんみたいに、フジヤンでデビューして、連ドラ書かせてもらったりするのを見るといいなぁ〜って思ったりするけどねw
脚本家志望の人がもしこれを読んでいたら
辛いなら、諦めても仕方ないと思う。心を病んでまで、周りに迷惑をかけてまで、命を賭けてまでやるほどのことでもない。命が一番大切。
でも、精神が安定できるような状況で、好きだったら、やりたいのだったら、大いに続けていいと思う。どんなデビューになるかは分からないけど、何かしら続けていれば結果はついてくる、はず。
凡人な自分でもとりあえずデビューはできた。
そしてデビューしたら、それを続けられるように切磋琢磨したらいい。「脚本家デビューしたけど、どうやって次の仕事もらうの?講座」誰か開いて欲しいw私も受けたいw
才能があったから脚本家になれたんでしょ?っていう人もいるかもしれない。でも、私は多分ない方の脚本家だ。
あんたみたいになりたい訳じゃない、と思われるならそう思ってもらってもいい。脚本家になる方法なんて一つじゃないし、自分もまだ脚本家一本として生活できているわけではないし。脚本家の名前だけで作品を見てもらえる売れっ子ではない。少なくとも今は(泣)
自分は、これ書いてる脚本家誰?とかいうより、何気なく見ていただいて「おもしろいなぁこの作品」と思ってもらえるだけで、本当はいい。ちゃんとそれで食べれていれば尚更。