揚げ物をしながらお酒を飲んでつまむ癖があるのですが、その日の写真。唐揚げ揚げながらポテサラとお酒を飲んだ。
2/11いいな、、洋花のまつり、、、
ふと、洋平が花道のこと好きなのはなんでだろう?二人はどうやって出会ったのかも、なぜ友達になったのかも、何も知らないな、、とか考えていたらそもそも愛に理由は必要ないのでは、、と気づいて水戸洋平への感情がさらにばかでかいものになりました。人を愛することに、理由なんていらないのさ。結局これかも。
洋平は花道の赤い髪が、強い力と大きな動きが、案外繊細な心が、まだ何にも染まらない心が、その全部が好きなのだと思うけど、それら全部が無くなってもきっと花道のことを好きだと思う。世界中の人が花道に注目して、彼を好きにならずにはいられなくなる、彼のプレーや言動や人柄に人々は虜になる。でも洋平は花道が何者でなくても、変わらず好きなままなのだろうな。
*****************
たびたび言ってる気がするのですが、私は原作で花道と洋平がどう出会ったのか、なぜ友達になったのかなぜこんなにも水戸洋平は花道に尽くすのか、その根拠となる出来事が一切語られていないことが大好きです。まあ言ってしまえば「バスケ選手桜木花道の物語」に、その過去の話は不要だと先生が判断しただけなのでしょうが、それすらも愛おしい。洋平は、花道の「バスケット」の部分と関係ないところで大切な役割を担っているということだと思うから。
スラムダンクのそういう、過去の話とかキャラのパーソナルな情報、内面の吐露みたいなところを極限までカットしているの、かなり好きです。普通出来なくない!?誰しも、自分が産んだキャラのこともっと知って知って!ってなるし、そうやって脇道も語らないと不安になってしまいそうというか。そこをバッサリ描かない判断が出来るのがかっこいいし、どなたかがTwitterで言ってたことをお借りするんですが、ザファで三井の「安バス」(安西先生、バスケがしたいです)の部分を「描かない」判断が出来るのも原作者だけだよね。というのもめちゃ共感しました。
だからスラムダンクを読み終えたとき、一番に出た感想が「結局私は彼らのこと何も知らないまま終わったな」と「マジで水戸洋平って何者なの、、」でした。でもそれが不満なわけじゃなくて、より彼らが魅力的に思えて、忘れられない存在になったんですよね。駆け抜けていく青春の一瞬を覗き見たような。彼らには私たちは見えていないという確信が持てる。そのことがこんなにも嬉しい、、、
要は私はスラムダンクの、理屈をこねたり人の内面を語らせる描写が一切ない清々しさが好きで、(赤木とか三井とかあるにはあるんだけど)それが如実に現れているのが洋平と花道の関係なのかなと。カラッと描かれているけど、洋平の花道への理解度って普通じゃなくて。読んでる私はなんで!?理由を教えて!?ってなるけど、洋平は絶対教えてくれないし、そもそも説明できるものではないのかも、、みたいな。
***************
よく思うのは、二人の間に共通事項、約束事、秘密の合言葉、そんなものがたくさんあるんだろうな、でもそれを私たちは知らない、、、これがめちゃめちゃ嬉しい、、、二人だけのものであることが嬉しい、、
最高アンソロと最高オンリー名を拝借するんですが、「用はなくても会いに行くよ」は洋平のセリフだけど、「ようするに離れない」は花道のセリフだよね。も常々言ってます。(心の中で)用はなくても、理由はなくても、わかんないけど、洋平は花道が好きで、どんなに遠くても会いに行って、大事で一等の宝物だと思ってる。でも執着心を見せるとしたらそれは花道の方で、洋平側が「与える愛」で満足してしまったところを、花道が「離れるな!!」と言わなくてはならない、、つまり「ようするに離れない」完璧すぎる。美しすぎる。
***************
二次創作を描く時、結局彼らの過去の話を想像して描かざるを得ないときがあるんだけど私は「描かれていない」ことに感動したのだから、どうにか上手く、「描かず」に二人を描きたいね、、、と思います。難しいよ〜、、