無償の愛は、お返しであること

meshi3
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おんぷちゃんのはなちゃんへの愛情の中に、洋平の花道への愛を見出した

↑錯乱したオタク?

おジャ魔女どれみシリーズだと♯が一番好きです。この次の「も〜っと」からキャラデザが少し変わって、今リバイバルでグッズ化されてるのはだいたいこっち。私は無印と♯までの顔が丸くてみんなの顔が少し寂しげな方が好きです。画面全体の色味もやや落ち着いていて、見ててホッとする。

洋平の愛が何か、というと私は「無償の愛」だとこれまでずっと思ってきていたのですが、反面無償の愛は信用ならなくて、少し怖い。そんなものはないんじゃないだろうか。見返りを求めない愛は健全なのか、とか。(健全じゃなくてもいいんだけど)愛は、与えて、与えられて、交互に続くから成り立つものではないのか。とか

おジャ魔女どれみ♯は、魔女界のプリンセス「ハナちゃん」を一年間かけておジャ魔女たちが育てるお話です。作中で繰り返し言われているのは、母親の無償の愛。今となってはやや胡散臭いけど、母親になったことのない私がとやかく言うことではないし、赤ちゃんにはなんでもしてあげたくなるとゆー気持ちはわかる。それに、♯は無償の愛を無闇に説法するのではなく、かなりリアルに子育ての難しさ、大変さ、喜びをひとつひとつ丁寧に拾っていて、本当に素晴らしい作品です。

最終回では、病に侵されたハナちゃんを4人は自分たちが千年の眠りにつくという犠牲を払って助けようとします。そのとき各々がハナちゃんとの思い出を語るのですがおんぷちゃんはこう語る。

「ハナちゃん、私の子守唄で眠ってくれたね 私、とっても救われたんだよ」

…え〜〜〜〜(衝撃

どうして衝撃を受けたのかとゆーと、与えられたことではなく「与えること」によって自分が救われるというすごく高度な感情を表現していること、そして自分がおんぷちゃんの気持ちがものすごくよくわかることに驚いたのです。

事実だけを述べると、ハナちゃんが夜泣きでグズってマジョリカやララが疲労困憊している中、おんぷちゃんはアイドルのお仕事を終えて、昼間MAHO堂を手伝えなかった埋め合わせに、夜MAHO堂にやってきて、ハナちゃんを寝かしつけていました。これ、どう考えてもおんぷちゃんにメリットはない。早くお家に帰って寝たいはずなのに。

そもそもおんぷちゃんは働きすぎで、とても子育てをして「救われる」という状況ではない。(アイドルと小学生と魔女見習いと子育てをやっている、そこらの会社員の比ではない忙しさだ)でもおんぷちゃんはハナちゃんに感謝している、存在に救われている。なぜか?

それは日々成長を見せてくれること、自分の歌で穏やかに眠ってくれること、それらが全てハナちゃんからおんぷちゃんへ与えた愛なのだ。あなたを信頼している、というハナちゃんからの愛。すでにおんぷちゃんはたくさんもらっているのだ。無償の愛と呼ばれるものは、客観的には与えるだけのようだが、主観からすれば既にもらっているものの、お返しにすぎない。

ここで最初に書いた、愛は相互関係であるとゆーことに立ち返る。与えて、与えられての関係に、おんぷちゃんは救われたのだ。ビジネスとして、与えることを求められること、周りから少し浮いた小学校生活。母親もマネージャーで自分のアイドル業と切り離せない存在になっていて心休まる家庭とは少し違う。ハナちゃんとのひと時はそういった「与えることに慣れた日々」からの解放だったのだろう。

やっと洋花に立ち返るんですが、洋平もめちゃくちゃ貰ってきたんだろうな、花道が自分に心を開いてくれた瞬間とか、信頼を見せてくれたとき、「きのうはやっぱりオレ、けっこうスゴかった…?」も、洋平からすれば、この上なく嬉しくて、大事な大事な貰い物なのだ。

無償の愛などない。洋平は貰ったものへのお返ししているだけ。花道がまだ自分がこれまで洋平に与えていたこと、そしてもらった愛に気づけていないだけで、そこに気付いたらもう、、、、、、ハッピーエンドっつーワケです。