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芦原先生と『セクシー田中さん』という漫画についての、いち読者の独り言です。なので、拡散などはしないでください。なお、昨今の騒動で心が疲弊しているひとはもろもろ注意です。
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先生や作品を使って色んな人がドンパチしている様子を見かけては胃を痛め、行き場のない感情をどうすればいいか、延々と悩んでいた1週間だった。たった1週間で自分の感情をどうこうできるわけでもない。ネットを離れるのが1番なんだろうが、辛いがゆえに𝕏でただただパブサをしていた。
こういうデリケートな事について言葉にすると、周りのひとたちの感情までも引っ掻き回してしまいそうで、いつもは極力触れないようにしている。今回の件に関しては本当に参ってしまったし、イバラ道を掻き分けるが如くパブサをしている中で、似たような感情を抱えている方の呟きを見つけては安心することができたので、いち読者としてこの感情は残しておこうと思いました。

高校生のころ、ロッカーの上に陳列された、誰かが持ってきたであろう漫画たち。その中の一つに『砂時計』があった。芦原先生の『セクシー田中さん』は「砂時計の作者さんが新作を?!」というキッカケで読み始めた。大好きで、とても大切な漫画です。それこそ1巻は2018年の7月には購入していて、以降ずっと追ってきていたし、なんなら連載元『姉プチ』の購読もしていたくらいには、毎話楽しみにしていた。そんな、読者の一人です。
今回のアレコレで、自分の気持ちに折り合いをつけようと試みては、『もう二度と物語のその先が読めない』という事実に襲われる。悲しい、寂しい、悔しい、虚しい。𝕏でもちょいちょい「おもろい!」「おすすめ!!」ということは呟いてはいたけども、もっともっと発信しておけばよかったな。というタラレバばかりだ。

『セクシー田中さん』という作品は、男や女ゆえの、若さや老いゆえの、自己肯定感が薄れたり、気づかず積もっていく塵のような、この世のほんの些細な生きづらさのようなものに対して、優しく寄り添ってくれる漫画だった。作中にも出てくる田中さんのセリフにこんな言葉がある。

まさに『曲がった背筋を何度も何度でも伸ばそう』と思える漫画だった。額に飾っておきたいセリフが沢山ある漫画だった。田中さんの弱さも強さも、朱里ちゃんの『枠外へ』飛び出す勇気も、笙野の素直さも、三好さんのやさしさも、登場人物みんな魅力的で、みんなそれぞれ悩みを抱えながら、一歩ずつ日々を生きている。その姿にどれだけ励まされたか。
そんな優しい作品を生み出してきた芦原先生がひとりで、どんな思いを抱えてこの世を去っていったのかと思うと本当に悲しいし虚しい…。外野(言い方は悪いのは承知)が先生や作品を使ってドンパチしているのも本当にキツい。アレコレの問題定義として、風化させてはいけないことなのは重々承知だけれども、これ以上先生と、先生の名誉や作品を傷つけないでほしい。そもそも、ドラマ化決定に際して読者に対していろいろ説明(7巻掲載/しかも巻末ではなく巻頭で)してくれる優しさや気配りも見ていたので、削除されてしまったポストやブログのアレコレも、『作品』と『読者の気持ち』を守るための行動だったであろうというのがヒシヒシと伝わるから、余計に心に来る。
なんだかな…。多分、どんなに月日が流れようとも割り切れない感情なんだろうなと思う。願わくば沢山のひとに『セクシー田中さん』を読んでほしいな。こんなキッカケになってしまうのが、すごくすごく寂しいけれども、本当に素敵な作品なんだ。いち読者の戯言にはなるけど、ホント、ただただそれだけ。実際、パブサをしていたら『漫画を読んだ』という方もたくさんいて、感想を読む度に心も軽くなれたので、読者やファンに対しては良い薬だと思う。いや、ホント悲しいキッカケなんだけれども。
騒動のアレコレで浮き上がっている『問題』については、いろんな漫画家さんも声をあげているけども、本当にエグい感じになっているので、漫画家さんにとっても、編集者さんにとっても、いい方向へ行ってほしいな。ひととして、『欲しいのは尊重されること』だよ…。
なんというか価値観や生き方だとか、本当に色々考えてしまった1週間だった。自分の心を守るために「うるせ〜!知らね〜〜!!」と攻撃的に対抗するのも一つだけど、やはり私は『ひととして』『やさしく』ありたいなと思うなどもした。ひとり遊び大好きな民が何言ってんだ感はあるが、むしろだからこそ、関係値というか、大好きで大切なひとやモノたちを尊重し、日々を穏やかに過ごしていきたい。使命感にならない程度に、そうありたい。あと、なんというか、今回の騒動のアレコレについての、いわゆる個人的な『お気持ち』は全て『セクシー田中さん』という作品で説明できてしまうのも、なかなか皮肉なんだよな…。

とりあえず、まだまだ虚しいし、いろいろ考え込んでしまうけども、田中さんや朱里ちゃんのように『割り切れない感情を飼い慣らしながら』、『些細な幸せ』たちをそっと宝箱にしまって、しずかに、穏やかに、豊かに、そんな優しい日々を過ごしていきたいなと思う。