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時々言われる問答に「作品」を見るときに「作者」を加味するべきか、というのがある。
結論から言えば、加味すべきだと考えている。ていうか、そもそも「作品」ってのは作者のその時の"魂の写真"だと思うんだよな。作品には作者の思想が入って当たり前である。それが表現というものだ。(なんで、たまーに見かける「作者の説教っぽい話入れるな」みたいな発言は非常に以て糞食らえである。作品はお前の暇つぶしの奴隷ではない。いかん愚痴っぽくなった。
そこから発展させるならば、"作品"を真に見るならば、"作品"は単体で完結する存在ではない。背景には作者の一続きの線の連続性がある。作品Aの後に作品Bがあるならば、作品Bの背景には必ず作品Aの前提が存在するのである。つまり、帰納法的には一人の作者の全ての作品は何かしらの連続性で紡がれた、一本の大きな線であるはずなのだ。
そう考えると、究極的には、単体の"作品"を鑑賞することなどありえないという話になる。人は人単位で関心を持つべきなのだ。ていうか幾分気障ったらしいが(関心を持つって表現はこれでも平たくした方である これ以上気障な表現はできん!!)。
まあ平たく言えば、作者そのもののファンになって、作者そのものを追いかけてくれる存在はありがたいですよね。自分にも極少数いる……はずだ。
……だからこそ、今のインターネットの(プラットフォームの)コンテンツの消費のされ方をみるとやるせなくなるんだな。(続)
ほんとうにひとまとまりにすると毎回長くなるのでこうやって途中で(続)にする勇気 つってもこの後だと愚痴前回の内容にしかなる気がしないぞ!!