クローズドコミュニティは麻薬である。なぜならそこには心理的安全性が確保されているから。クリエイターしかいないコミュニティなら、そこに無知なくせに、人を傷づける刃物の鋭さだけは一丁前に研ぎ澄ました荒くれ共もいない。だから、みんなクローズドコミュニティに引きこもった。
自分も例外ではない。UGDG(ggれ)というunityを使うエンジニアたちのコミュニティに、数年……3年くらいか? 引きこもっていた。そこは自分が知らない"誰か"の暴力に脅かされることのない場所だった。
そうして、各々の界隈の"識者"がクローズドコミュニティに引きこもる。
一か月前に話題になった記事である。"インターネットの"現状を正しく書いている。
斯くいう自分も、先述した通り、そこそこの期間slackに引きこもってたし、実際の所、心理的安全性は高かった。でもそれなりの期間、そこに要ると分かってしまうのは、そこはやはり"閉じた世界"であるということ。自分自身の安全性にしか寄与しないということ。例えれば、各々の専門家が各々のシェルターに閉じこもる。シェルターの中は安全であっても、外の世界はより加速度的に荒廃する。「インターネット」全体を考えると各々の界隈が各々の世界に閉じこもるのはあまり良くねーんじゃないかとここ数カ月で思い直して。で、今、青空とかこことか、活動の主体を移してるんですよね。
"第三者"にある程度見られる環境こそがインターネットにあり方なのか? ……まあ、"Twitterだったもの"はモラルは崩壊していて、もはや基準とすべき場所ではない。この問題は難しい。"表現者"のフィルター(汚く言えば"足切り")。ここのうまい落としどころは結局見つけられていない。"招待制"が今のところの最適解なのかな。少なくとも、今の所、blueskyには"識者の秩序"が存在する。twitterだったものが"かつての栄光"という残滓を借りて、虚飾の栄光を携え(続けて)ている。暫くは"虚像"はそこに寄与していい気もする。平たく言えばスケープゴートだ。虚飾に満ちた"陽"はXに押し付け、"実像"をblueskyが引き受ける。
しかし、ずっとそのままではいられない。おまえなにをかいた。俺自身ですら、なにが"在るべき世界"かの実像は掴めていない……。
この記事も叛逆の一種なのかなあ。ひとまず直截に言えば、いまこの記事を読んでいる貴方が"クローズドコミュニティ"に閉じこもる存在であるならば、今一度、"人類種"のために、もうすこし開けた世界に己の魂を標榜してもいいのではないかという事。それがどれほど力があるかはわからないが、しかし実行しない事には"0"なのだから。大丈夫だ。blueskyは今の所(2023/3)高いモラルを維持している(と思う。)あそこみたいな人の揚げ足取りに人生を捧げるものはほとんどいない。クローズドコミュニティに閉じこもっているものを、もう少し外に出してみてはどうか。未来の"インターネット"のためにもな。
今日も泥酔がひどいぜ!!