クラフトインターネットという思想を見る

MetaFormer
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※予防線:しずかなインターネットなので割と雑文です

クラフトインターネットという思想を知った。

詳細はまあこのあたり読めばわかるかと。

実に希望がある概念である。名前が付くということは、同じ事を考えている同志が十分に存在することを示すからである。発祥も2024年1月なのでつい最近である。褪せた概念ではない。

なぜ2024年になってこのような概念が提唱されたか……は、一番ダイレクトなのは"Twitterだったもの"の凋落だろう。いちクリエイターからの視点としては、生成AIの影響もある程度あるんじゃないかと思う。どちらにせよ、(特に昔のインターネットを知る多少"老いた"人たちから見て)今のインターネットが理想の在り方なのかという点に関して、大いに懐疑的なのは間違いない。無論自分もその一人であり。身も蓋もない話、当時を知る人に"今"と"当時"どちらがインターネットが楽しかったか聞けば、大多数が(思い出補正を抜きにしても)後者、と答えてしまうんじゃないだろうか。

コミュニケーションの変質

考えてみると、自分も徐々にTwitterに"日常"をつぶやく量は減っていった。理由は何だろうか。

青空(略称は何に統合されるのだろう!)でさばみっそーと会話した時に気づいたことがあり。(転載メンゴ)

(直接は貼れないっぽいので開いて読んでくれ)

インターネットのコミュニケーションが、インターネットのプラットフォームに、そしてSNSというプラットフォームのシステムに支配されるというのは実に言い得て妙だと思う。

そしてほぼ全ての"プラットフォーム"は、コミュニケーションをより"横着"させる事に長けていたようだ。かつて言葉で交わしていたものは、☆や♡の数字に取って代わった。そして数字が指標となり、その数字のための創造、あるいは数字をコントロールする者たちが誕生に伴う、その彼らにすり寄る創造が始まった。それはアテンションエコノミーと言われる道であった。……まあ、"いいねの数でどうこうするSNSに疲れた"なんていうクリエイターの愚痴は今に限らず、そりゃもう10年前くらいから既に各所で囁かれていた気もするが。しかし先ほど書いた通り、プラットフォームの"システム"が文化を作る……嫌な言い方をすれば、文化がシステムに隷属する、奴隷の立場になっていたわけで。

そして幸か不幸かあるいは皮肉か、Twitterだったものの"致命的な変質"をトリガーに、最初に挙げた概念の提唱とその賛同者が可視化されたわけだ。

冷静に考えて、何かを発した時に、それに対してマウスをポチポチしただけで"交流"した気になり、発した側もその数字だけで感情を左右されるなど、地球の支配者に達したホモ・サピエンスの最終的なコミュニケーションの到達点としてはあまりにもお粗末ではないか。

やべえ自分で書いてて話の着地点が見えなくなってきたぞ☆彡

結局、クラフトインターネットの方向に世界は進めるのか

じゃ、そういった前節を踏まえた上で、クラウトインターネットの思想に進めていけるのかという話なのだが。

まず前提として勘違いしてはいけないのは、これがいわゆる"昔は良かったから昔に帰ろう"に準ずる懐古思想ではないということだと思う。加えて言うなら、そっちに傾倒してもいけない。そもそも今のインターネットは、SNSは、システム的には"便利"なものだし、これまでその恩恵に多分にあずかっているのだから、その部分を都合よく無視するというのはダブスタというものである。

で、どういうことなのかといえば、今のインターネットの在り方が、このまま直進してたら確実にヤバい……ていうか今現在もう大分ヤバいのなら、ならばここからどのようにして"いい方向"に軌道を調整していくか、という事。

そもそも根本的な話、たとえクラフトインターネットの思想が興味深いものであったとしても、だからといって「じゃあプラットフォームの利用をやめて、独自ドメインでの活動に立ち返ろう!」ていうのは些か経路をすっ飛ばしすぎな理屈ではある(一応自分も独自ドメインのサイトは持ってるけど、仮にそこに色々書いたとして、読まれる気がしないぞ……)。だから、まず現実的に行えるラインを見極める必要があるかなと。

自分が考える着眼点は2つ。

・アテンションエコノミーに支配された行動指針からの脱却

・"言葉"でのコミュニケーションへの帰着

じゃないかと思う。なので、まずはそれを行える場所で活動する。幸いにして、実際にアテンションエコノミーに対するカウンターカルチャー的性質を伴ったサービスが台頭してきたわけで。ひとつは言わずもがな"ここ"。そしてbluesky……まあ、いずれも曲がりにもSNSの一種だし、プラットフォームの一種であることにも違いはないが、各々の開発者の理念からして、(今の所)アテンションエコノミーに骨の髄まで支配されたインターネットに対するカウンター性を内包してる……ことは、ある程度信用できるんじゃなかろうか。

で、2つめはまあそのまま。自分も、blueskyでは結構意識的に"言葉"をぶんなげてるつもりではある……。シンプルなやりとりですら、久しくTwitterでやってない感覚がある。なんてこったい。

今のインターネットが長い時間の末にここまで歪んでしまったものは、同じように長い時間をかけないと修正できない気はするが、しかし一人ひとりが意識しなければ今後も変わらないだろうし、そして一人一人の草の根の活動で広がって浸透していけば、少しずつ変わっていくんじゃないだろうか(し、そうやって順々に広がっていく姿こそが本来の"インターネット"な気もする)。

てかんじで今これを読んだ人も実行すればいいのではないだろうか。(少なくともこの記事は自分からはblueskyからしか導線を引いてないので、少なくともblueskyを見てる人のはずだ)

そんなかんじのおもうざつぶん。……ちょっと長すぎるな。次からはもっとシンプルにまとめて気軽に公開してえ……。

公開直後の追記:編集と公開で改行タイミングが微妙に異なるのやりづらいなオイ!!

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