模試を受ける子のために、今朝は弁当を用意した。5教科なので、昼休憩が挟まれるのである。
昨夜の晩ごはんに大量のチキンカツをつくり、その一部を弁当に流用した。模試なので、ゲン担ぎというほどのことではないものの、試験だしな、と思ってカツにしたのも事実である。
チキンカツのほかには、マカロニサラダとミートボールとプチトマト、白ご飯には梅干をすこし載せておいた。あと、デザートとしてぶどうを何粒か。本人が起きてくる前に弁当箱に中身を詰めていき、しばらくそうして冷ましておいた。本人の意見を聞かずに(チキンカツを入れることは前夜のうちに伝えておいた)勝手にこしらえた弁当である。これで足りるのか、とか、梅干入れてよかったかな、とか、マカロニサラダにきゅうり入れて大丈夫だったかな、とか、あれこれと考えた。これまで僕がつくったものであれ、妻がつくったものであれ、弁当に対しては「おいしかった、ありがとう」と言ってくれてきたし、今回も特別な品を入れているわけではないのだから、なにも心配しなくてもよさそうなものだけれども、まだあまり弁当をもたせる機会がないので、やや不安になる。高校生になり、弁当が毎日のことになれば、こんなことで思い煩う感性も消えてしまうのだろう。
僕はだいたいのことを忘れていく。とくに育児に関しては記憶容量が少ないようで、どんな病気をしたか、とか、どういう友達が(我が子に)いたのか、とかいったことは、すぐにぼんやりしてしまう。濃い霧の中を運転していくみたいなものだ、育児とは。などと偉ぶって書いてみたけど、自分に育児を語る資格なんてないので、記憶が曖昧なのは怠惰ゆえと自認している。
言い訳がましいことを書くが、あれをした、これをした、という気持ちを子供に対して持たないようにしたい。ああ、でも、そういう気持ちがあるのも事実で、こっちがこれだけやってるのによお、と怒ってしまうことだってある。修行が足りない。忍耐が足りない。わかってる。それに病歴のことなどをおぼえておくことは大切で、親としての務めと言われればそのとおりですと両手を上げて賛同する。であれば、忘却は、やはり、怠惰。
弁当にまつわるエピソードを読むこともある。育児に関するご意見を拝聴することもある。良い話がたくさんあって、愛情に満ちた思考が世にあふれていて、平身低頭である。ただ、それらはだいたいの場合、ひとつのテーマに沿った形で発信される言葉であり、生活がそうであるように育児もまた一面的に片付くものではない。あったりまえのこんこんちきである。育児や生活について「こうでなくてはならない」と言われると「なにをこんちくしょう、それができれば苦労せんわい」と反抗心が剥き出されかけることもしばしばだが、いちいち真に受けてもいられない。「弁当の中身はこれしかない」と言われたって、海苔弁でずっと通したりしないように、生活も育児もいろんな考え方があって、間違いはあっても正解はなくて、明日は揚げ物を入れるのやめようとか、野菜もう一品増やそうとか、ふりかけのストック切らしてたばかばか俺のばかって悶えたりとか、そうやっていくしかないのである。
そろそろお昼休憩の時間ですが、おいしく食べてもらえるといいな、などと願ってしまう私はやはり我欲のかたまりのこんこんちき。